猫と楽器と本と人間
演劇について初めて語る

演劇について初めて語る

ご存知の方も居て下さると思うが、私の父は元文学座の俳優で、シュールレアリズムの奇才と呼ばれ「戦場のピクニック」などで知られるスペイン人戯曲家:フェルナンド・アラバールを最初に日本に紹介した戯曲翻訳家でもあり、盟友三島由紀夫氏(文学座演出部に居た)の退座以降、俳優から演出家に転じ、1970年に国際青年演劇センターを創設した若林彰である。父は、2013年10月に86歳で他界したのだが、思うことあって、父とは40年来の友であり、師と言ってくれる人も… [全文を読む]
素晴らしきタイ民族音楽の未来

素晴らしきタイ民族音楽の未来

東南アジア・タイ王国への憧れを持つ人々にとって、果たしてバンコクのあの交通ラッシュは如何なものだろう。それを言うならパキスタン・カラチ、マレーシア・クアラルンプール(KL)もクレージーさではアジア三大最悪交通事情であろうけれど。優美なタイ古典舞踊や、長い歴史を持つ仏教やその文化遺産とはあまりにかけ離れている。しかし、あれこそがタイという国と民衆が逞しく生きている証であるとするならば… [全文を読む]
北インド古典音楽の旋法 ラーガ概念の滅亡

北インド古典音楽の旋法 ラーガ概念の滅亡

筆者は、かれこれ45年インド音楽と向き合っているゆえに、語ることは尽きないが、本編では、北インド古典音楽の現状のみに絞ってお話させていただきたい。中世までのインド古典音楽は,非常に長い年月をかけ少しずつ変化発展してきた。中世以降は今日の南北2大音楽体系に大別されるが、それらの共通の土壌、言わばひとつの音楽体系が形作られたのは、おそらく紀元前数百年、または千数百年前から… [全文を読む]
マレーシア音楽の可能性

マレーシア音楽の可能性

筆者がマレーシアの主都クアラ・ルンプール(KL)の二大音楽院に研修に赴いたのは、かれこれ20年前になる。が、驚くことに、新しい音楽に関してはこの20年大して変わっていないのだ。逆に、伝統音楽は、二大音楽院の存在があるにも拘らず、かなり厳しいものがあると言わざるを得ない。マレーシアには、世界に類を見ない素晴らしい融合音楽があるにも拘らず、マレーシア人自身がその価値に気付いていない様なのだ。隣国インドネシアの「クロンチョン音楽」と共に、何故に… [全文を読む]
アフガニスタンに於ける民族音楽の現状

アフガニスタンに於ける民族音楽の現状

アフガニスタンという国の名前にも、アゼルバイジャンやウズベキスタンと並ぶ魅力を感じていたのは筆者だけではないのではなかろうか。アフガンという呼称は、「アフガン族」を意味するが、その語源は諸説あって釈然としていない。一説には、紀元前のペルシア、インドのからの他称とも言われるが、彼ら自身が国名に据えたのは近世のことだ。彼ら自身民族名はもっぱら「パシュトゥーン、パフトゥーン」と自称しており… [全文を読む]
アゼルバイジャン民族音楽の今

アゼルバイジャン民族音楽の今

アゼルバイジャンという国名の響きは、なんとも優美かつ勇壮孤高な雰囲気を醸し出してはいないだろうか。実際のアゼルバイジャンの歴史は、そのイメージを裏切らないどころか、素敵に裏付けてくれる。とはいえ、日本語のネット情報の多くにアゼルバイジャン音楽を誤って伝えている部分が少なくなく、現地の英語版のサイトも誤解を受ける記述が少なくない。勿論そこには、アゼルバイジャンのみならず、旧ソ連邦諸国がおしなべて… [全文を読む]
アジア諸国の伝統文化、伝統民族音楽が危機に瀕している? その5 

アジア諸国の伝統文化、伝統民族音楽が危機に瀕している? その5 

能・狂言や地歌・箏曲の「流」と大きく異なり、浄瑠璃が、室町時代という昔に「節」を名乗っていたことにはある意味画期的で、当時の最新最先端の派手(奇抜?)な芸能を象徴するものであったであろうとともに、貴族、武士、豪族、豪商に好まれた能・狂言、地歌・箏曲と対比する、庶民向け芸能(大道の傀儡師… [全文を読む]
アジア諸国の伝統文化、伝統民族音楽が危機に瀕している? その4

アジア諸国の伝統文化、伝統民族音楽が危機に瀕している? その4

呼称というものは、区別分別の必要に駆られて生じ確立するもの故に、創世記から分別対照が現れる迄の厳密な呼称は研究者でも分からないと言う。以下(能・狂言に限らず)、その点の確証は得られていないままであるが、後世の呼称に従って説明させてもらう。また、邦楽はいずれも、一般の人々にとって… [全文を読む]
アジア諸国の伝統文化、伝統民族音楽が危機に瀕している? その3

アジア諸国の伝統文化、伝統民族音楽が危機に瀕している? その3

次に「小唄」「端唄」であるが、そもそもが花柳界で発展した流儀(広義)であり、そのルーツを辿れば、江戸時代はおろか、平安時代にまで優に行き着いてしまう。勿論詳しい記述はほとんど存在しない。また、花柳界の芸子さんたちは、置屋馴染みの邦楽の師匠に稽古を授かった。当然、この系譜も、星の数ほど存在… [全文を読む]
アジア諸国の伝統文化、伝統民族音楽が危機に瀕している? その2 

アジア諸国の伝統文化、伝統民族音楽が危機に瀕している? その2 

前回、日本の純伝統邦楽が、「伝統的である」と世間から言われるようになったのは太平洋戦争終結以降のことであるが、担い手、演者たちにとっては創世記(江戸時代)の頃から既に「伝統」という認識があったに違いなく、それを裏付ける存在であり、その意識の源が「流派と流儀」の概念であると述べた… [全文を読む]
アジア諸国の伝統文化、伝統民族音楽が危機に瀕している? その1

アジア諸国の伝統文化、伝統民族音楽が危機に瀕している? その1

この集広舎さんとのお付き合いでもそうだが、最近、中国の弾圧を受けているウイグルとチベットの伝統文化の危機について問われることが増えてきた。正直言うと返答に困っている。ひとつには、なぜウイグルとチベットだけなのか、という思いが素直に返答することを妨げているのだ。長い共産主義の悪政下… [全文を読む]
「昆虫図鑑が世界の仕組みの全て」だった

「昆虫図鑑が世界の仕組みの全て」だった

お坊さんが、しばしば「山ごもり」をするのには、幾つかの意味と理由があるのだろうけれど。私も人生の岐路や、難関にぶち当たる度に「山ごもり」をしたくなったものだ。しかし、その間も、膨大な楽器や音楽資料の家賃を払わねばならない。親元に居た頃は、学生だったから、「休学して山ごもり」と言う訳にも行かなかった。が、そんな思春期の頃から、半ば習慣になっている「山ごもりの代わり」が、「がむしゃらな勉強」だった… [全文を読む]
ヘタクソな読み方とは?

ヘタクソな読み方とは?

思えば、楽器演奏と歌ほど、普通の人が聴いて「ヘタクソ」が直ぐ分かるものは無いのではないか? と今更気付いた訳だが。私は、その「バレ易い芸術」を先攻し人生の大半、必死になっていたのだから。実に大失敗だ。絵画に至っては、全く「裸の王様」で。どう見てもヘタクソだろう?と思う様なものが、様々なプレミアが付いて「天才的画法による名画」と言われたりするから、最も「ヘタクソ」が分かりにくいジャンルかも知れない。それに次ぐのが、「モラトリアム世代」など… [全文を読む]
この順列には深い訳がある

この順列には深い訳がある

二〇〇七年初頭に福岡市南区に越して来る頃、四千前後の世界中の民族楽器は、東京より西の五カ所に分散し、福岡でも保護して増えた猫も今日では、区内数カ所(いずれも近所)に分けたけれど、東京の最後の家では、それらの殆どが二階建てに押し込まれていた。引っ越しは二トン・トラック二十台に及んだ。その頃、昼間、十三匹の猫たちは、楽器ケースや膨大な民族音楽資料の段ボールの上や隙間の、それぞれのお気に入りで昼寝をしていたが。私が就寝しようと折り畳みベッドに横に… [全文を読む]