唯色コラム日本語版
「敵の声を封じ込める」という「西新プロジェクト」

「敵の声を封じ込める」という「西新プロジェクト」

いち早く二〇〇〇年には、当時の指導者の江沢民から「敵の声を封じ込め、党と国家の声を家々に伝えよ」という指示が下されました。当局は特に西蔵(チベット)、新疆、内モンゴル、寧夏などの少数民族自治区、及びすべてのチベット人居住区を対象に、巨大な規模でテレビ放送を覆いつくすプロジェクト―西新プロジェクト〔西新は西蔵と新疆を指す〕―を実施しました。 [全文を読む]
オーセル氏のエッセイ・詩 五編

オーセル氏のエッセイ・詩 五編

「三・一四事件」の後、ラサでは大衆を動員して、深く潜んだ「ダライ分裂集団」を引きずり出して、批判闘争にかけるという運動が繰り広げられました(これは文革期の常套手段でした)。退職幹部たちは例外なく参加しなければならず、最も積極的な主力軍となりました。 [全文を読む]
エッセイ『茶館』その他

エッセイ『茶館』その他

ラサの大通りから狭い路地まで、どれほど茶館があるでしょうか。数えようにも、数えきれません。ラサの隅々まで茶館が見え隠れしているようです。ツァイツィ(載追)、サルジュ(革命)、ガンジョン(崗瓊)、ルゥツォン(魯倉)などの有名な老舗には、毎日、老いも若きも集まってきます。 [全文を読む]
ニマツェリンの涙

ニマツェリンの涙

一九九六年の真夏のある日、ジョカン寺(大昭寺)はいつものように巡礼者や観光客でにぎわっていました。ニマツェリンもいつものように入口で入場券を販売しながら、いつでも遠くから来た観光客に英語や中国語で解説できるように準備していました。これはニマツェリンの仕事です。他のラマ僧と違い、新聞やテレビでは「ラマ僧ガイド」と呼ばれています。 [全文を読む]
三月一四日の前に何が起きたのか?

三月一四日の前に何が起きたのか?

今年(二〇〇八年)の三月一四日は、もう名前がつけられました。「三・一四事件」です。チベット全域において、これからまた「敏感」な日が増えました。中国中央電視台(CCTV)は、この事件を取りあげた番組を制作し、繰り返し放送しました。 [全文を読む]
チベットの秘密

チベットの秘密

そうです。最初はラサの郵便局でした。彼は私に電報を書いてくれと頼みました。/彼は笑いながらいいました。「私は中国人の字は書けないのです」/彼は、多くの友人のなかで初めての活仏でした。/チベット暦の新年のとき、私たちはバルコルにある写真館で、けばけばしい色彩のセットの前で、仲良く写真を撮りました。/また、私は朱哲琴のMTVに連れて行き、優美な「手印」を演じてもらいました。 [全文を読む]
ジャーナリストの気まずさと「敏感な問題に関する答え方」

ジャーナリストの気まずさと「敏感な問題に関する答え方」

二〇〇八年に北京でオリンピックが開かれるため、中国は寛容なポーズを見せなければならず、外国のメディアの取材制限を緩和せざるをえなくなりました。これまでずっと外国のメディアに対して厳戒態勢が敷かれていたチベットでも、微笑みが現れました。でも、この微笑みは本心でしょうか、虚飾でしょうか。 [全文を読む]
ツェリン・オーセルの詩とエッセイ

ツェリン・オーセルの詩とエッセイ

三年前、ラサで文字どおりの悲劇が起きました。シャリ活仏とはちがい、ごく普通のラサの年寄りでした。夫が不治の病にかかり、死ぬ前にインドで修行している息子に会うために、とても言い尽くせない苦労をして、ようやくパスポートを手に入れました。しかし、妻はどうしても取れませんでした。夫は痛ましい選択を迫られました。 [全文を読む]
ツェリン・オーセルの詩:二篇

ツェリン・オーセルの詩:二篇

今まで、私はチベットについて表現できません。うまく表現できないだけでなく、どのように表現したらよいのかまったく分からないのです。いかなる文法も存在していません。いかなるセンテンスも繋がっていません。いかなる語彙も、今日のような現実を前にすると、無意味になり、すごすごと遠くに逃げます。文章記号はたった三つしか残っていません。疑問符、感嘆符、省略記号だけです。 [全文を読む]
旅券不要、私はダライラマ尊者にお会い出来た

旅券不要、私はダライラマ尊者にお会い出来た

去年、ラサでは60歳以上にはパスポートを発給されるとの話が乱れ飛び、ただし事務処理期間が1週間とされたため、パスポート担当部署には、白髪頭や足が不自由な老人たちがギッシリと詰め掛けた。実際にかれらが目指すところは、ヒマラヤ山麓のあたりの永年会っていない親類を訪ね、仏教の聖地に詣でるためで、さらに、あの口には出せない… [全文を読む]