イスラム銀行という表現を耳にされたことのある方はけっこういらっしゃることでしょうが、その意義について詳しくご存じの方は意外と少ないのではないでしょうか。今回はそんなイスラム銀行についてご紹介した上で、社会的連帯経済との関連性についてもご説明したいと思います。

 イスラム教の経典といえばコーランで、特に伝統的な国家ではこのコーランを基本としたシャリア(イスラム法)が国の基本法として機能していますが、このコーランの中には金利の徴収を禁じる規定が複数個所にわたって見られます(以下、イスラーム文化のホームページに記載されているコーランの和訳から抜粋)。

  • 「利息を貪る者は、悪魔にとりつかれて倒れたものがするような起き方しか出来ないであろう。それはかれらが『商売は利息をとるようなものだ』と言うからである。しかしアッラーは、商売を許し、利息(高利)を禁じておられる。それで主から訓戒が下った後、止める者は、過去のことは許されよう。かれのことは、アッラー(の御手の中)にある。だが(その非を)繰り返す者は、業火の住人で、かれらは永遠にその中に住むのである」(第2章(雌牛章)第275節)
  • 「アッラーは、利息(への恩恵)を消滅し、施し〔サダカ〕には(恩恵を)増加して下される。アッラーは忘恩な罪深い者を愛されない」(同章第276節)
  • 「あなたがた信仰する者よ、(真の)信者ならばアッラーを畏れ、利息の残額を帳消しにしなさい」(同章第278節)
  • 「あなたがた信仰する者よ、倍にしまたも倍にして、利子を貪ってはならない。アッラーを畏れなさい。そうすればあなたがたは成功するであろう」(第3章(イムラーン家章)第130節)
  • 「禁じられていた利息(高利)をとり、不正に、人の財産を貪ったためである。われはかれらの中の不信心な者のために、痛ましい懲罰を準備している」(第4章(婦人章)第161節)
  • 「あなたがたが利殖のために、高利で人に貸し与えても、アッラーの許では、何も増えない。だがアッラーの慈顔を求めて喜捨する者には報償が増加される」(第30章(ビザンチン章)第39節)

 欧米覇権諸国が世界を支配した19世紀から20世紀前半にかけて、これらイスラム諸国でも欧米式の金融機関が続々と設立されましたが、イスラム回帰の流れが高まるにつれ金融面でもシャリアに忠実な実践を行おうという運動が各地で見られるようになりました。実際にはイスラム銀行の場合には、金利以外の面でもイスラムの教えを忠実に守る事業にのみ資金を融資するため、たとえばワインや豚肉の製造業者には資金を貸し出すことがありませんが、今回は金利など金融面に関した側面に的を絞って紹介したいと思います。

イスラム銀行の広告

▲筆者がマレーシア訪問中に偶然見つけたイスラム銀行の広告

 このように書くと、金利の廃止がイスラム教独特の概念のように思えるかもしれませんが、実はユダヤ教やキリスト教の経典である旧約聖書で、すでにこの教えが説かれています(以下、Wikisourceの日本語版より)。

  • 「あなたが、共におるわたしの民の貧しい者に金を貸す時は、これに対して金貸しのようになってはならない。これから利子を取ってはならない」(出エジプト記第22章第25節)
  • 「彼から利子も利息も取ってはならない。あなたの神を恐れ、あなたの兄弟をあなたと共に生きながらえさせなければならない」(レビ記第25章第36節)
  • 「あなたは利子を取って彼に金を貸してはならない。また利益をえるために食物を貸してはならない」(同第25章第37節)
  • 「兄弟に利息を取って貸してはならない。金銭の利息、食物の利息などすべて貸して利息のつく物の利息を取ってはならない」(申命記第23章第19節)

 しかし、この記述でわかる通り、金利の徴収が禁じられた相手はあくまでも「兄弟」、すなわち同じ信仰を持つ人たちであり、異教徒に対しては金利の徴収は禁じられていませんでした。欧州で少数民族だったユダヤ人の中にはこの規定を利用してキリスト教徒相手にお金を貸しては金利を徴収する者が現れ(架空の人物だが、シェイクスピアの「ヴェニスの商人」のシャイロックが有名な例)、やがて社会的に公認されるようになったのです。ローマ帝国の公用語だったラテン語では「金利」を意味する単語はusuraで、この系統を引き継いだ英単語usuryは「暴利」の意味ですが、これら金融業者はusuraではなくintereo(元来は手数料ほどの意味、英interest)と呼び換えることで旧約聖書の教義をごまかし、金融業の実施を正当化したのです。

 さて、金利を徴収しないとなると、どのようにしてイスラム銀行は預金を集め、それを運用して利益を出しているのでしょうか。イスラム教では金利収入は禁止されるものの、投資や賃貸などで収益を上げることは禁止されていないため、その仕組みを利用してさまざまな金融商品を生み出しています。

  • ムダーラバ(信託金融): 資本家と事業家の間で1対1の契約を結ぶ。資本家が資金を全部出す一方、事業家は経営に専念し、資本家は経営に口は出さない。利益が出た場合には両社の間で折半、損失が出た場合には資本家が資金を失う仕組み。イスラム銀行が生まれる前から伝統的にイスラム社会で行われてきた金融の方法だが、イスラム銀行では、同銀行を経由した形で預金者と事業者の間で間接的なムダーラバを行っている。ベンチャー企業家と投資家との間での関係に似ている。
  • ムシャーラカ(出資金融): ムダーラバに似ているが、事業家もそれなりに自己資金を出す一方、資本家も経営に参加し、利益が出た場合には資本家と事業家との間で分配する。ある株式会社の経営者かつ全株の所有者が自社株の大半を個人投資家に売却した場合、ムシャーラカに似た関係が生まれるが、重要な点としてはあくまでもムシャーラカの場合、企業の所有権は経営者にあり、個人投資家との関係はあくまでも出資関係でしかない点。
  • ムラーババ(掛け売り): 売買の際に、一定期間支払いを猶予するかわりに、その分の追加料金を徴収する方式。月賦での分割払いに似ているが、支払が遅れても売り手が延滞利息を請求することはできない。
  • イジャーラ・ワ・イクティーナ(リース購入): 住宅ローンなどで使われる手法。まず銀行が住宅を買い、所有権を残したままで住宅ローンの借り手にリース。借り手はとりあえず賃貸住宅として新居に住み始め、ローンの返済を終えたら所有権が銀行から借り手に移る方式。この場合、住宅購入のために銀行が支払った額と、借り手の支払総額との間の差額が銀行の利潤となる。

 このようなイスラム銀行ですが、欧米など非イスラム圏でもイスラム銀行の実践に対する関心が高まっています。金利の構造的な問題については第18回ですでにご紹介しましたが、金利収入を拒絶するイスラム銀行は、金利に基づいた現行金融制度に批判的な人たちに新たな可能性を提供しており、実際欧米などでは非ムスリムの間でもこれら銀行に預金をする人たちが増えています。また、金融活動そのものは支持するものの、あくまでも実体経済とのつながりを重要視するイスラム教においては、金融派生商品(デリバティブ)や先物取引は固く禁止されていますが、実体経済から金融の乖離が進み、これら金融活動により実体経済がむしろ混乱することが少なくない今日では、非ムスリムからもこのようなイスラム銀行の運営方式に対して関心が高まっています。

 また、社会的連帯経済の観点からも、イスラム銀行の実践例は非常に興味深いものです。社会的連帯経済においても金融は重要な役割を果たしており、社会的経済投資家国際連合(INAISE)の下で世界各国の連帯経済系の金融機関が加盟していますが、金利という不労所得(出資者に対する利潤配当が保証されている状態)を拒絶し、あくまでも貸し手と借り手との間での共同作業によって経済活動を推進してゆくというイスラム銀行の姿勢は、社会的連帯経済の観点からも非常に興味深いものです。金利を完全に徴収せずに運営されているJAK銀行(スウェーデン)については第15回で紹介しましたが、少なくともイスラム銀行と社会的連帯経済の間には、それなりの親和性があると言えるでしょう。

▲JAK銀行が金利を徴収せずに運営している方法を紹介したビデオ(英語)

 実際には、イスラム教の教義の解釈については国や学派などによってかなりの差があるため、イスラム圏全体で同一の実践が行われているとは言い難い現状があります。また、特に金融面においてグローバル化が進む現在、イスラム教諸国といえども非イスラム諸国との取引関係は無視できないため、イスラム諸国側の希望通りにイスラム銀行が成長しているとは言えない側面もあります。さらに、社会的連帯経済とイスラム銀行との間で必ずしも関係が深まっておらず、協力関係の構築にまで至っていない点も指摘しなければなりません。しかし、欧米や日本などでは当然視されている金利に疑問符を投げかけ、金利ではない形で事業収益を上げつつ金融活動を行っているイスラム銀行に対しては、もっと注目してもよいのではないでしょうか。

◎参考サイト:「経済グローバル化とイスラム金融」