今回は、いつもと趣向を変えて、陰陽の観点から経済活動についてとらえてみたいと思います。

陰陽太極図

◀陰陽太極図

 私が申し上げるまでもなく、陰陽二元論は古代中国に起源を発する思想で、この世界の森羅万象を、男性的なエネルギーである陽と、女性的なエネルギーである陰の2つに分類するというものです。補完通貨(詳細はこちらおよびこちらを参照)の第一人者であるベルナルド・リエターは、その代表作「マネー崩壊」(原題The Future of Money)において、陰陽の特徴について言及しています。

超越神内的神性
確実性の追求曖昧性を受容する能力
中央集権相互信頼
階層社会平等社会
競争協力
理性・分析直感・共感
論理的・知的・直線的矛盾的・情的・非直線的
因果関係共時性
還元主義(一部が全体を説明)全体論(全体が各部を説明)
大きいほど良いスモール・イズ・ビューティフル
技術支配対人関係支配
金融資本社会関係資本
物理資本(高速道路・工場…)自然資本(森林・景勝地…)

 リエターによると、現代社会は陽だけを評価する一方で、陰を軽視してしまったために社会のバランスが取れなくなっていますが、その理由の一つとして、現在の通貨制度が陽的な価値観を推進するために発行されているということです。これについて、詳しく見てみることにしましょう。

 世界のどこの国の通貨であれ、紙幣や硬貨としての通貨を発行するのは中央銀行(日本であれば日本銀行)の役割であると思われていますが、実際には通貨の大部分は、信用創造により民間銀行により創造されています(詳細はこちらで)。英国では実に97%以上もの通貨が民間銀行によって創造されていることを、イングランド銀行自身が認めています(詳細はこちらあるいはこちらで)。民間銀行にとって通貨創造=融資は営利ビジネスですので、あくまでも儲かると思われる事業にのみ融資する一方で、利益が期待できない事業は、たとえ社会的に、あるいは環境保護の面でどれだけ意義があっても融資を受けられません。また、好況時には簡単に融資が受けられる一方で、不況になると融資が受けられなくなります。これにより、好況時はカネ余りになってバブル経済気味になる一方で、不況時には融資=通貨発行が滞り、これによりさらに景気が悪化することになります。このように、銀行により営利目的でのみ発行される現在の通貨自体が陽的性格を持つことから、経済全体が陽過剰的な性格を帯びることになり、それによってさまざまな問題が起きているわけです。具体的には:

  • 確実性の追求: リスクを冒さないという点では評価できるが、確実性が期待できない分野は、それがいくら必要なものであっても手を出さない傾向にある
  • 中央集権・階層社会: 特定の指導者によるトップダウン型の企業運営は効率的である一方、民主主義の対極にあり、構成員の意見が全く反映されない。
  • 競争: 現在の通貨制度では常に通貨不足状態にあり(利子があるため、通貨供給量以上の負債を社会全体で負っていて、借金を返すために常に新たな借金を迫られている)、債務を抱えた企業や個人は希少なお金をめぐって、協力ではなく競争を行う。
  • 理性・分析、論理的・知的・直線的、因果関係、技術支配: あくまでも財務上・理論上の経営戦略だけで事業計画を立てる一方、従業員や地域社会などの要望には耳を傾けない。
  • 大きいほど良い: 企業合併による寡占化が進み、地域の実情に根差した経済運営が行われなくなる。
  • 金融資本: 経済活動の目的はあくまでもカネ、カネ、カネで、そのためには人間関係の破壊さえ厭わなくなる。

 陽経済がこのような特性を持つのは、ひとえにその評価尺度が基本的に金銭的価値だけに限定されるからです。たとえば、個人的には有機野菜が大好きな人であっても、その人がファストフードフランチャイズの社長や最高経営責任者(CEO)になった場合、株主価値の最大化が求められることになります。そのためにはフランチャイズの利益を最大化する必要があり、健康にはよくても値段が高くて需要の多くない有機野菜よりも、健康には悪くても安くて需要の多いその他の野菜を使った商品を開発せざるを得ません。また、利益の最大化のためには従業員の待遇も最低限のものに抑え、低賃金長時間労働も多くなります。このような経営を批判することは簡単ですが、企業の目的を考えた場合、そのような経営を行わざるを得ないのです(仮に株主の大多数が、有機野菜や労働者の生活水準の底上げに関心がある人たちであれば話は別ですが、通常株主は利益を求めて株を保有するため、特に株式を上場している大企業では、まずそういうことはあり得ません)。

 それに対し陰経済は、陽経済と全く異なる原理で動きます。確実性に乏しくても、経済性以外の分野で重要性を持つプロジェクトであればそれを受容し、誰かの強力なリーダーシップに頼るのではなく、関係者全員の相互信頼の下で、時間はかかるものの話し合いを経て、そして競争ではなく協力を基盤とした人間関係を構築した上で、納得できる組織運営を模索することになります。また、利益最大化という観点から冷血な経営を行うのではなく、そこで働く人や地域社会などのことも考えた思いやりのある経営を行います。スモール・イズ・ビューティフルは1973年にE・F・シューマッハーが刊行した本で、大量生産・消費型の社会ではなく、地産地消型で足るを知る仏教経済学について提唱しています。そして、相互協力により誰もがその恩恵を受けられるような経済を構築することで、社会関係資本(プットナムが提唱した概念で、人脈や相互信頼など、社会を運営する上で欠かせない人間関係の資本)も構築・増強できるというわけです。

「スモール・イズ・ビューティフル」日本語訳

◀「スモール・イズ・ビューティフル」日本語訳

 とはいえ、この陰陽二元論は善悪二元論ではありません。陰と陽のどちらも絶対的な善あるいは悪ではなく、その両者のバランスを取ることが大切なわけです。たとえば、効率の観点から見ると赤字の鉄道やバスの路線は、それ以外の便益がいくらあっても(交通渋滞の緩和、交通弱者への便宜、二酸化炭素排出量の削減)廃止しなければならない一方で、地元の人でさえめったに使わず、その存在意義が問われるような路線を運営し続けると、その赤字補てんのために行政の予算が取られ、他のサービスに十分にお金が回らなくなります。過度な競争が起きた場合、その敗者は自殺などに追い込まれる一方で、倫理観の伴わない協力は談合を生み、特に価格や品質面で競争力の低い商品の温存につながりかねません。また、スモール・イズ・ビューティフルは直接民主制の観点からも望ましいものではありますが、あまりに経営規模が小さいと製品の値段が高くなり、競争力もなくなってしまいます。さらに、いくら社会関係資本が大切とはいえ、やはり利益を出せるかどうかという点は重要であり、仮に経済面以外でのメリットがある事業であっても、極端な赤字は認められません。

 また、この陰と陽はどんな個人や組織の中でも両方が存在し、そのバランスを取ることできちんとした社会運営が行われるわけです。多くの企業では通常は社長や最高経営責任者が経営についての判断を下しますが、その際に必ずしも独断で決めるのではなく、社員の意見を求めることも少なくありません。また、逆に協同組合は基本的に経営方針が民主的に決められますが、特にその協同組合を誰かが代表して連合会の会議に参加する場合、その代表に意思決定を一任することも少なくありません(というより、連合会の会議に参加する場合、議案ごとに持ち帰って内部で議論をするわけにはいかない)。また、社内での競争は必要ですが、競争が過度になると人間関係がギスギスし始め、本業にも悪影響を与え始めるため、この点でも適度なバランスが必要です。しかし、一般的に資本主義企業では陽的要素が強い一方で、社会的連帯経済は陰的要素を追求する傾向にあることは間違いないでしょう。

 社会的連帯経済を位置付ける際に、今回の記事がご参考になれば幸いです。