台北の「捷運」ことMRTの西門駅入り口。若者で賑わうが、最近は中国人観光客も増えているようだ(2011年3月撮影)

▲台北の「捷運」ことMRTの西門駅入り口。若者で賑わうが、最近は中国人観光客も増えているようだ(2011年3月撮影)

哈日族(hāRìzú)=日本サブカルチャー愛好者

 「彼らの中のある者は木村拓哉のヘアスタイルを真似て、またある者は機会を見つけては日本式のラーメン屋を食べ歩いています。日本のアニメのコスプレに興じる人たちもいて中には日本までアニメの勉強に留学する人もいます。こうした人たちを”哈日族”といいます──」
 数年前使っていた教科書を見て驚いた。これは中国が舞台の話である。なのになぜここに「哈日族」が出てくるのだろう。この言葉は日本サブカル好きの若年層のことを指すのだが、そもそも台湾だけで使われていたのではなかったか──。

なぜ台湾でこの言葉が生まれたか

 こう思うのは自分だけではあるまい。なにしろ日本語でのグーグル検索では、この言葉を検索すると、ほとんど全て台湾関連でヒットするのであり、中国に関連してこの言葉が言及されている文章はほぼ見られないのだから。それもそのはずで、この言葉は台湾発の単語とほぼ断定して良いだろう。「哈」とは台湾(および中国福建省)で広く使われている閩南方言で「熱愛し渇望すること」を指す。「”日本”をディープに愛する人々」ということである。
 ではなぜこの言葉が台湾で生まれたのか? これは80年代から90年代末にかけて進んだ台湾のアイデンティティ変化、はっきり言ってしまえば台湾社会の脱中国志向の顕在化、現地化と関連している。が、その背景について論じていけば紙幅が足りないのでメディアと政治だけに絞ってみていこう。
 この時期政府の息のかかった地上波テレビ局は衰退し、かわりに地下媒体から発展したケーブルテレビが台湾全土に普及し始めたが、圧倒的に足りないコンテンツを埋めるために日本で放送済みの「東京ラブストーリー」などのトレンディドラマ(この言葉自体も日本では死語だが)を大量に流し始め、これが若年層に圧倒的に支持され始めていた。90年代初頭にはNHK衛星放送がスピルオーバーで台湾でも受信可能になっていたことも大きいだろう。こうした流れを追認するように、初の本省人総統で植民地統治経験者の李登輝元総統が94年、日本大衆文化を公的に解禁し、それまで私立大学に限られていた日本語教育も台湾大学など国立大学でも解禁されるようになった。それまでの国民党統治においては、実態はともかく公的には日本大衆文化は禁止される場合が多かったのである。
 これまでになかったこの言葉を普及させたのは漫画家兼作家で、最近福岡についても自身のウェブサイトで紹介している哈日杏子(本名=陳桂杏)さんである。彼女が93年に出した処女作「早安!日本」の中で日本サブカルチャーについて閩南語で「哈得要死!」(めっちゃ大好き!)との表現を使ったのが、この「哈日族」という言葉の起源とされ、以降まず台湾でこの言葉が現象とともに広がっていった。
 かくして植民地時代、「台北の浅草」とも称されてきた西門町は「哈日族」の聖地として注目されることになった。そしてもはや「哈日」の潮流はすでに台湾社会に定着し、「もう台湾では外国文化ではなくデフォルト」(台湾人研究者)となっているといえよう。一方で「韓流」や東南アジアブームなどもあり、「哈韩族」「哈泰族」(泰=タイ)などの言葉も派生している。

北京の街頭に平積みされているファッション誌。日本のモデルが表紙になっている(2012年8月撮影)

◀北京の街頭に平積みされているファッション誌。日本のモデルが表紙になっている(2012年8月撮影)

中国における歴史的系譜も

 こうした前提理解があって中国大陸に絡んでこの「哈日族」という言葉が出てきた時には当初違和感があったのだが、調べてみると実は結構早い段階からこの言葉が中国大陸にも伝播していたことがわかった。中国国内の雑誌記事・論文検索データベース「中国知网」(CNKI)でこの言葉の使用された雑誌記事を検索してみると、中国国内でこの言葉が使われた雑誌記事の最も早い記述は2000年8月発行の「中国対外服務」という雑誌に掲載された「沪上“哈日族”」(上海の「哈日族」)という記事である。
 同データベースを介して拝読したこの記事には、ハローキティのイラストがあしらわれ、「上海ではもう“哈日族”とは新しい言葉ではない」と書かれている。この記事は、上海で(そしておそらく中国国内全土でも)90年代から放送されていた「ちびまる子ちゃん」や「スラムダンク」などの影響力を指摘している。そう、実は中国国内でも急激なテレビ多チャンネル化の影響で日本のアニメを吹き替えや一部修正して放送する場合が多く、中国の「哈日族」もこうしたものを見て育ってきたのだ。実はアニメの一部は中国で制作されているということもあるだろうが、こうしたアニメに後押しされた若年層世代により一部ラジオなどにJPOP専門番組ができたり、日本のファッションが流行していると同記事は紹介している。
 そして同じくCNKIで検索した記事によれば、2003年の段階で商務印書館発行の「新華新詞語辞典」にこの言葉が「日本の大衆文化を狂信的に追い求め崇拝する人々」として掲載されているという。こう書くと否定的に解釈されているようにも思えなくもないが、そこまでの意図はないようだ。この記述を紹介したのは、2008年に発行された「青年探索」に掲載されている「中国青少年的“哈日哈韩”现象及其反思」(中国若年層の「哈日哈韓」現象とその再検討)という記事で、このタイトルからもすでに韓流も中国に定着していることがわかるが、この記事は他にも二つ面白い指摘をしている。
 一つはこの「哈日」という言葉は「太陽の毒に当てられる」とも解釈できるとしており、「二重の含意があることは面白い」としている。しかしそれよりも重要なのはもう一点で、同記事が、上述の哈日杏子さんが台湾でこの言葉を普及させるに至った経緯を説明しているほかに、中国国内における80年代の日本ブームについて紹介している点である。実は改革開放後間もなかった80年代中国では、その時期輸入放映された日本の「赤い」シリーズの影響で山口百恵のほか、文革後初めて外国映画として放映されたという「君よ憤怒の河を渉(わた)れ」に出演した中野良子や高倉健などを中心とする日本ブームが存在した。「哈日」といえばごく最近の現象にも思えるが、こうした”歴史的”な系譜もあるのであり、そのことを指摘した点でこの記事は出色といえるだろう。

果たして”親日”と言えるのか

 さて、この言葉が日本国内で紹介されるときには常に政治を含めた「親日度」の度合いが測られる傾向にあるように思うのだが、筆者個人としては全く関係ないとはいえないけれど、”こちら”が期待するほどには関連性は少ないのではないかと思う。台湾の場合、植民地統治を経験せず蒋介石の遷台に伴って中国大陸からやってきた人々とその末裔を外省人、1895年以前から居住し日本植民統治を経験した人々やその末裔を本省人という言い方があるが、「哈日族」にはけっこう外省人の末裔も多いという指摘もあるのだ。典型的な外省人といえばかなり日本に辛いイメージもあり今なおそういう点もあるかもしれないが、徐々にその傾向は減少しているように思える。このことは外省人が現地化したとも言えるし、本省人にとっても植民地時代が身体性を伴った「経験」から書面上の「知識」になったことで、現代日本を植民地統治の歴史から切り離して考えているとも言えるのではないか。
 一方、中国の場合現代の日本文化を消費する「哈日族」の主な担い手となっているのは、都市部の、上限でも「80后」(「后」は日本語の「後」、1980年以降生まれ)世代であろう。この世代は改革開放が始まって以降生まれた世代であり、社会主義イデオロギーがそれ以前ほどは社会的に浸透力を持たない中で育ってきた、「非政治化」された傾向の強い世代ではないかと考える。さらに90年以降の生まれを指す「90后」になると、もはや天安門事件の存在も直接は知らない。都市部において資本主義化されたライフスタイルに親しんできた30代中盤以下のこの世代にとっては、ある意味洗練されていると映るであろう日本大衆文化は取っ付き易いものであるだろう。しかし台湾の場合と同様に、彼らにとっても日本大衆文化は日本に絡んだ歴史と切り離された、いわば「メディア」として受容しているのではないか。ちょうど、私達の先輩がジーンズを履いて、反米デモに出かけたように…。

 筆者個人は両岸の「哈日族」が好むとされる日本大衆文化そのものが少々問題かなあとは思っている。外国から眺めてみれば東京から発信される”日本”大衆文化は確かに清潔で秩序だっていて、例えば一昔前の台湾や中国にあふれていた”乱七八糟”(中国語で「乱雑な」の意味)な風景とは全く異なるから魅力的なのであろう。が地方出身の筆者から言わせればスーパーでパッケージ化された食品のように”ニオイ”がしないのだ。しかし私が知る日本には、少なくなりつつあるとはいえ、まだ”ニオイ”や残余、残滓──日本が欧米化しきれないところというべきだろうが──はたくさん残っている。こういうものを含んだ文化を発信し、そこも含めて好きになってくれる「哈日族」が増えることを願っている。