廃虚のような四合院 北京の胡同の片隅には、眠っている歴史、忘れかけられた歴史がたくさん転がっている。それらを探ろうと、自転車で駆け回るのはとても楽しい。かつての大寺院の伽藍跡があったり、大捕物が繰り広げられた役所の敷地があったり、歴史に名を残す思想家の屋敷の塀の向こうに、そのあずまやが残っていたり。
 その日の取材も、そんな歴史の破片を探し出せるはずだった。少なくとも、そう意気込んで三不老胡同にある鄭和の屋敷跡を訪ねたのだった。鄭和とは、明代のあの「鄭和の大遠征」で知られる鄭和だ。
 しかし、胡同の散策ではよくあることだが、この時も過去ではなく「現在」の問題が目の前につきつけられることになった。まず驚いたのは、中庭がガラクタの山になっていて、四合院の建物こそ残っているが、全体が廃墟に近い状態のままであったこと。そして、住民たちが、口々に自分たちの苦境を訴えてきたことだ。その内容とはこんなものだった。

 2005年にこの四合院の10世帯の住民は、屋敷全体を売り渡す契約を結んだ。買い手の名義は、10歳のアメリカ籍の少年だった。実際に契約の手続きを行ったのは少年の母親で、自称中国人の女性だった。だが、契約に「暫定的に90日以内に支払いを済ませることとする」とあるにも関わらず、この女性は支払いをせず、住民たちの督促にも応じなかった。
 だがその後、北京の不動産価格は急騰し、住民たちは当初約束した価格では北京で新たな住宅を購入できなくなる。住民たちは契約の解除を求めたが、買い手の女性は応じない。そこで住民らは裁判を起こした。法律的には明らかに住民らに有利なはずであったが、意外にも女性の勝利で終わり、契約の解除は認めない、との判決が下された。そこで住民らも、「暫定的に90日以内」という期限が数年、数十年と限りなく延ばせるものなら、自分たちも明け渡しを「暫定的に」何年でも延ばしてやると、売り渡すはずだった屋敷で居座りを始めたのである。「100年だって居座ってやるさ」とある住民は意気込む。
 以前の安価な価格で四合院を手に入れたい買主と、新しい家を買うのに十分な資金を手に入れたい住民とのにらみ合い。「ここは鄭和の屋敷跡、つまり文化財のはずですが、建物は保護されるんですか?」という私の質問は、死活問題を語る住民らの語気に押されて、遠くに追いやられてしまった。

 話は変わるが、陳凱歌監督が先日黒澤明賞を受賞した。その陳監督の短編映画に『夢幻百花』がある。世界の15人の監督が「時間」をテーマに競作した「10ミニッツ・オールダー」の中の一作で、映画は西城区の胡同の大規模な取り壊しを背景にしたもの。陳監督の映画の中で私が一番好きな一作だが、その舞台であり、映画では取り壊された広大な四合院地区の一角にあったことになっている「百花深処」という名の胡同は、偶然にもこの鄭和の屋敷跡のすぐ近くにある。
 実際は「百花深処」は現在もまだ残っており、映画が発表された2002年当時に大規模な取り壊しが行われていたのはその北西や南西の一帯。だが、いずれにせよ、当時は歴史ある四合院が集中していた旧城地区で、大規模な取り壊しが行われていた。そして、再開発の名のもとで、街の歴史的コンテクストがずたずたに切り刻まれ、大量の文化財が破壊されていたのだった。
 北京オリンピックが迫るとともに、旧城地区、とりわけ第二環状路以内における広大な地区の一斉取り壊しは禁止されたが、その代わり「微循環」と呼ばれる、一つ一つの四合院ごとに修築や整備、必要であれば取り壊しと再建を行う政策が実行されるようになった。その後、四合院が高層ビルに変わったり、歴史的価値の高い建物が強引に取り壊されたり、という事態は基本的に減った。
 だがその代わり、限られた資産としての「四合院」の価値が急上昇し、国内外の資産家がステータスシンボルとして買い漁るようになった。不動産的価値の外に美術品、骨董品的価値もある四合院は、投資の対象としても垂涎の的となる。筆者がその格好のシンボルだと感じたのは、かつて清朝の乾隆皇帝の三女が住んだ屋敷、「和敬公主府」跡が修繕されたとき、その大門に掛けられた「●●証券」の大きな扁額だ。

 映画『夢幻百花』では、精神に異常を来たした北京っ子が、一面の廃墟の中から、かつて家の屋根先に吊るされていた鐘を探し出し、チリン、チリンと鳴らす。その音が、四合院が連なる、昔ながらの胡同の風景を想像させる仕掛けとなっている。
 だが、保護され、ピカピカに整備された四合院が目に入るようになった今、耳に響いてくるのは、そんな奥ゆかしい音だろうか。むしろ私には、チャランチャランというお金の音が聞こえてくるように思えてならない。