映画ファンにとって実に嬉しい動きが、今北京で起こっている。
 中国ではこれまで、映画がプロパガンダの手段であった頃のスタイルを受け継ぎ、映画館といえばどこも一斉に似たような映画を上映し、映画館のスクリーン数や傾向などに応じて若干スケジュールや上映映画のバラエティに差がある程度だった。仮にその上映作品の選択基準が、政治的なものから興行的なものにシフトしたとしても、映画館ごとの独自の上映企画や、良質だがマイナーな映画が「映画館の個性」を打ち出すために敢えて上映されることなどは、ほぼ皆無。外国のインディペンデント映画の上映にしても、たいていは国際交流を目的とする組織が主催した○○映画祭などに会場を貸しているだけのことがほとんどだった。

 ところが昨年末、そんな現状に一石を投じた新たな試みが始まった。北京初の「単館上映」を売りにした映画館が生まれたのだ。その名も「百老匯電影中心」。香港系の映画館だが、正直なところ筆者は、この中国でどれだけ持ちこたえられるだろうかとハラハラしていた。だが、大部分の上映内容こそ従来の映画館と同じであるものの、残りの部分で何とか「単館上映」的試みを続けているようで、実に励まされる。

百老匯電影中心

 中でもこの映画館が長期に渡って続けている活動の一つは、若手監督の良質な作品をどんどん上映していこう、というもの。これまで中国では、海外の映画祭で新人賞を獲得したような映画でも、社会的に敏感な内容を扱っていたり、マーケットが極めて狭いと判断されたりした場合、映画館で正式に上映されることはかなり難しかった。

 だがこの百老匯では、この限界を打ち破り、新進監督の優秀作品を定期的に上映。映画界の新たな人材の育成に大きく貢献している。

 中でも今年、過去の代表作と新作の2作品が上映され、コアな映画ファンに注目されたのが、上海出身の劉浩監督だ。その処女作『陳黙与美婷』は、2002年のベルリン国際映画祭で青年フォーラム最優秀アジア映画賞と処女作特別奨励賞を受賞。今回上映されたのは二番目の作品となる『好大一対羊(邦題「ようこそ、羊さま。」)』と今年完成したばかりの『老那』。いずれも海外の映画祭での受賞歴がある作品だ。

『好大一対羊』は、村の幹部に地元の厳しい自然条件とまったく合わない外国産の羊のテスト的な飼育を押しつけられた農民の物語。餌や薬の手配などに右往左往する農民の姿を通じ、農村にはびこる現状を無視した官僚主義的やり方を強く風刺した作品だ。

 一方先日公開された『老那』は、舞台を北京に移し、老人の生きがいや老い、そして恋愛の問題などを丹念に描いた作品。主人公の老人「老那」は、家族に大反対されながらも、偶然再会したかつての意中の人との交流を強く求め続ける。だが、やっと交際が承認されたのもつかの間、時は無残にも老人たちの痴呆症を進行させていく。

『老那』の一シーン(写真提供/劉浩監督)

 前作と同じく、ふだん焦点が当てられることは少ない問題を鋭く抉っており、脚本や画面構成から、そしてほとんど素人を起用した俳優の生かし方まで、かなり個性的で、かつ完成度も高かった。

 この上映会で特色があるのは、監督との交流タイムが設けられていること。国内の映画ファンの「なぜ、監督自身の出身地であり、監督にとっても描きやすいはずの上海でなく、北京を舞台にしたのか」、「××のシーンは省いても良かったのではないか」といった手厳しい質問から、外国人の観客の「なぜぎりぎりのところで、ベッドシーンに持ち込まなかったのか」といったきわどい問題まで、矢継ぎ早に質問が投げかけられ、その一つ一つに劉監督は丁寧に回答していた。

観客の質問に応じる劉浩監督熱心に質問を続ける観客たち

 しかもこの正式な質疑応答タイムの終了後も、会場の外で延々と映画をめぐるディスカッションは続行。監督にとっても、また映画ファンや映画制作を志す若者にとっても、かなりいい刺激となっていたようだ。
 いくら意欲的な映画が中国で撮影されていても、国内の観客にスクリーンで観てもらえなければ、その意義は大きく減ぜられてしまう。こういった志の高い映画館が今後増えていくこと、少なくとも現状並みの活動を続けていけることは、中国の映画界を活性化させることに大きく貢献するだろう。

 いい映画とはやはり映画館で観たいもの。北京在住の一映画ファンとして、「映画館でいい映画を観る機会」の今後のますますの広がりに期待が募る。