2010年6月8日。朝起きいて窓から外を見回すとサッカーのワールドカップが始まるせいか、あちらこちらにブラジルやアルゼンチンの旗がひらめいている。みんなサッカーが大好きなんだろう。そのなかにちいさな日の丸もありうれしい気持ちに…同じアジア代表だからだろうか…。

 今日はチッタゴン近郊で、アシシュの故郷、バルワ人(ベンガル人仏教徒)たちが暮らすルワラバラ村で3箇所めのブッタバンクを開設する。場所は、オグゥシャル・コンプレックスという寺院を中心にした大きな施設で、バングラディシュで最も有名な、故ビシュタナン・ド・マハテロ、という僧侶が日本とノルウエーの寄付で設立した所らしい。

 ちなみにこの団体1年後、実績が認められてマザー・テレサ賞を授与する。
 そこは小さな村になっており、バルワの住人が暮している。敷地内には、仏教寺院に小中学校のほか、この国で唯一、ジュマ(エスニック)だけの女子高とその寮がある。学費などはすべて寺院でみているらしい。

 ここでもまたよくわからないが、お偉いさんに敷地内を丁重に案内されVIP扱い…。まるで国際交流基金の視察団代表にでもなった気分だが、しかし、女子校内を観て、そんなVIP気分は吹き飛んだ。
 かなり老朽化している…っていうよりボロボロ校舎。建物はでかいが日本の昭和の廃校だってもっともっとましだ! 図書室はまるで倒産した零細企業の資料室、まともな本なんてない。理科室は、試験管とフラスコがあるだけで戦時中の尋常小学校かと思うほど…女子寮はまるで労働者のたこ部屋なみ…!

 そこでようやくなぜ案内されたかがわかった。みんな俺のことを、日本からきた支援団体かなにかの代表だと思ってる。
 俺はミスター・ファイナンシャルサポーター?
 教員を交え女子高生と交流の時間がもたされる。急にあいさつを要求され…僕はしろどもどろ…聞いてないよこんなの~~アシシュに仕組まれた…。
 20人ほどの女子高生全員が、片言の英語であいさつ、チャクマ族、マルマ族、トンチョン族などの少女たち、みんな見るからに素朴で純真そうだ。日本の、すれたガキどもとはまるでちがう…そして口々に現状を訴えるのがなんともいじらしい…「図書室に本がないんです。もっと読みたいんです等々」。What can I do?(俺に何が出来る?)


 余興が終わってやっと本題のブッタバンク設置会場に移動する。そこではCS(四方サンガ)のシンボルマークの入った旗を持ってバルワの女性たちが迎えてくれた。Oh! なかなかの演出、そしてがらにも無く花束を贈呈される俺…。いや~まいったな~。

 ブッタバンクの現地実行委員はアシシュを筆頭に、施設全体の責任者でもあるベンスミッタナダ僧侶と、小学校の校長の、シュミロンビガシュさん。もと丸紅のバングラ支社長だったというプリオドシさんという顔ぶれ、ここも男ばかりだが…。
 CSの活動を紹介した後は、途中からやって来たシャンガプリヤ僧侶のなが~い説教で始まった。やっぱこのボス、いやボウズが何処に行っても一ばん偉いんだということを俺もやっと気がつき始めた…。

 後に続き校長のあいさつが始まったのだが、その話し方と来たらまるで選挙カーから演説でもしてるかのような上から目線。いつ終わるかもわからない偉そうな話に、僕はじりじりしながら申し込者の名簿に目を通していた。その間も演説はこれでもかと言わんばかりに永延と続いていた…。
 ここでは前日と打って変わって女性のみに貸し出す方針をとるそうだ。
 それもまた極端だな…。
 申し込み者は10人。総額をみてびっくり13万タカ(約18万)である。方針としては全部で5箇所、各75000タカ、(10万円)を原則としている。担当者のアシシュ「なんとかもっと予算を増やしてほしいんですよ~、説得してあと1万5千タカぐらいは下げるように言いますから」と日本語でささやく。

 事前にあれだけ言ってあったはずなのに。こいつ言えばいくらでも予算が引っ張れるとでも思ってるのか! いったいアッシシュはどんなインホメーションを村人に出したんだ…?
 アウンも加わり話しあったが、彼曰く5箇所でスタートするため予算は限られてる。それに一箇所だけ特別扱いすると後々不満がでるだろうと言う。かといって朝9時から5時間以上も待っている女性たちを手ぶらで帰すのも忍びない。そこで、今回だけ特別ということで、アウンは渋ったが無理して必要経費から2万タカを追加するすることにした。
 貸し出しが終わり、女性達がみんなうれしそうに笑顔で帰っていったのが胸に響き安堵。

 それも束の間、村を後にした帰り道、オートリキシャ(三輪車)のな中で激しい議論となった。追加金を要求して来たアシュシュが「なぜあんな金額をオバーしてしまったんだろ」とかぬかしてる。ふざけんなおめーのせいだろ…! と俺はむかついた心で叫ぶ。
 なぜなら女性受益者の3人は、何の具体的なプランもなく、ただ金を借りに来ていた。何も知らずに来た彼女達は、その場で取って付けたように使用目的を書き込んだ。家畜を飼うとか…肥料を買うとか…。後からそれを知った俺はショックと怒りで最悪の気分だ。そんないい加減な利用者のために、2万タカもの経費を失ったのだ。
 この後の予算に支障をきたしたことは確かである。知っていれば絶対出さなかった…ちゃんと確認しなかった自分の責任だが、アウンにも「なんで止めなっかったんだ!」と喰ってかかる俺…車内は険悪なムードに…。
 準備の時間は十分あったはず。おそらく事前に何の詳細な下調べもなく、現場にも行かず、現地の担当者まかせにしてしまったのだろう。段取りの悪さと問題点が露出した結果になった…。

 この日の夜チッタゴンを出てチャクマ族の多く暮らす土地、広陵地帯の州都ランガマティに向かうため夜行バスに乗り込んだ。ラフな道のり、夜行バスは激しく左右に揺れ、胸がむかつく。昨日は蚊が多くてほとんど寝てなせいか頭痛がひどい。うだる様な暑さに窓から入り込むほこりと強烈な排気ガスの臭い。鳴り止むことのないクラクションの音、音、音。不快指数をマックスに押し上げる。バングラディシュ第二の都市チッタゴン。この街だけは、絶対に住みたくない…。

 翌日ランガマテでの朝7時。3ヶ月前に悲惨な事件が起きた、カグラチョリ県のサジェクという地域に向った。そこは監視の目が厳しく、特に入場が制限されている。アシカネットワークという地元NGOのサポートで、運良く許可書がとれていた(昨年は取れなかった)。
 アシカネットワークは、ランガマティを中心に活動するNGOで、60人以上のスタッフ、UNDP(国連開発計画)やアジアンファンデーションなどのドナーを持ち、主に地元チャクマ族(ジュマ)の人々の支援活動を中心に、幅広い活動を行っているいる。責任者のビブロップとは、前回は不在で、電話でしか話せなかったが、スタッフには、ずいぶんと世話になった。

 始めて会ったビブロップの印象は、パワフルで、人情深くリーダータイプ。学校の教員でもあり、きれいな奥さんがいて愛妻家。そして同じ志を持つアウンとは大親友である。このコンビ絶対使える…。

 このコンビと僕を入れた3人でオートリキシャに乗り込む。カルガチョリまで3時間、そこからバガイチャリという小さな町までさらに2時間走り、途中カメラを隠して5箇所ほどの陸軍の検問を掻い潜り、バガイチャリへ到着した。
 ここで、ジュマファンデーション(地元のNGO)のスジョルカンテさんに案内してもらい、2台のバイクに分かれ、それぞれ2人乗りで山道をさらに1時間、ようやく焼き討ちのあった村々、サジェク・ユニオンにたどり着いた。

 ここで何が起きたのかを、簡単に説明しよう。
 もともと、先祖代々チャクマというエスニック(先住民)の暮らしていたこの地域に3ヶ月ほど前、セトラー(ベンガル人入植者)が大勢やってきて、むりやり入植地を作るための工事を始めた。さらに住人を追い出すために軍隊が出動し圧力をかけた。
 そこで抵抗したチャクマ人の一人がナタで兵隊を殺してしまい、バングラ軍が発砲。それによりチャクマの人たち30人近くが殺された。
そして軍隊は村々に火を放ち20キロ四方の家々を焼きつくした。その結果、6日間で470件が全焼、3500人が家を失った。
 これに近いことは以前から何度も起きている。しかし報道規制で隠蔽され、国際社会ではこんな大事件でさえ一部のマスコミしか取り上げていない。日本のマスコミは残念なことに、こんな知られていない土地のことなどは触れることもない。

 バングラディシュに限らず、一つの国が独立して国境を設定した時、国境線近くで暮らすエスニックの人たちは曖昧な国境線の両方にまたがっていることが多い。そしてある日突然それぞれの国民に取り込まれてしまうのだ。
 そもそも長い間エスニックの人達が先祖から代々受け継がれて来た土地である。基本オーラルヒストリーで継承されて来た習慣に土地の登録義務なんてものはない。彼等独自のルールで育まれて来たものだ。そこに新たに出来た国家及び政府が、人口分布政策などで、登記されてない土地を不動産業者などに売りさばくのである。
 まさにその土地こそが、以前からずっと暮らしているエスニックの人たちの土地なのだ。
 何の事前通告も無く人手に渡ってしまう。
 買い盗った業者は政府から発行された権利書を縦に、突然ブルトーザーやショベル機などの重機と共にやってくるのだ。更に悪いことに業者が政府の役人及び軍の幹部と癒着しているからもっとたちが悪いのである。

 このあたりは、軍隊がたくさん駐留している。僕達はそこを避けながら大きく迂回し、さらにいちばん奥を目指した。そのため一部の現場しか見ることは出来なかったが、丸焦げの柱だけになった家屋は、その凄惨さを知るには十分過ぎるぐらいだった。
 村の人の話ではこの日の午前中、クリスチャン系のサポートグループが救済活動にやって来たらしいのだが、その存在に気づいた軍の兵士が質問攻めしたあげくに追い返してしまったらしいのだ。俺は、運がよかったんだ…。

 真実を知られたくない軍関係者は、外部からの侵入者にはかなり神経質になっているようだ。我々は村に着いてまだ30分なのだが、6時間かけてまたランガマティにとんぼがえりだ。パミション(許可証)の関係で、午後6時半にはここカルガチャリ地域を出なくてはならないのである。
 しかし今回の訪問でCSが模索していた直接的な地域への支援ルートを確立することが出来た。CSジャパンからバングラCSのエコプロジェクトへ、そこからアシカネットワーク、そしてバガイチャリのジュマファンデーションへの支援パイプラインである。

 帰る途中道沿いにあるチャクマ人の難民キャンプに寄った。そこには25家族ほどが暮らしていた。彼らはセトラー(入植者)や軍隊に土地を奪われ難民となりインドに逃げていたが、インド政府に追い返され戻ってきた人達だそうだ。現在までに6万人以上のチャクマなどのエスニック(先住民)の人たちが土地を奪われ難民となり隣国に流出している。
 バングラディシュ政府は、口先ばかりで、土地を返えそうとしない。使ってない土地は、いくらでもあるのに…。

 道中、明かりがない山道から見あげた空は、満点の星空だった。僕はひとり浸りながらここに来る前CSの創立者の井本さんが言っていた話を何となく思い返していた…。
「モンゴロイド顔とアーリヤ系の顔による人種の境界線は、ビルマ(現ミャンマー)とバングラデシュ~インドの国境線に符合するものだと理解していたのだが、本当の境界線はここバングラデシュの国内にあった」
 僕は今その境界線の上に立っているのである。
 一人浸っているとピブロップが言う「このあたりはよく盗賊がでんだよな~今はだいぶ少なくなったけど…」
 え~!せっかくのロマンチック気分も一気に吹き飛んだ…。

 ランガマティに到着し僕は、彼をCS仲間にさらにその活動に引き込めないものか思いめぐらしていた。そこでその夜思い切ってお願いしてみた。
「ウェルカム・トゥ–・CSメンバー・ミスター・ピブロップ・プリーズ」
 うれしいことにビブロップ、賛同の意思満々のようだ。

 僕はあの焼かれた村のサジェクでブッタバンクを出来ないものだろうかと提案してみたが、ピブロップが言う。まず彼らが自立するための指導及び環境づくりが先決だ。それをしないと、ただお金を使ってしまうだけだろうと。さすがその道に長く携わっている人は、先のみ通しが早く説得力がある。俺の様な素人がいい人ぶるのとは訳がちがう。
 しかし彼はそれが出来る環境の村が幾つかあるある。まずはそこにあたってみようと提案してくれた。
 よかった…。最後5番目のブッタバンク開設地の目処が立ちそうだ。さらに強力な新メンバーも加わった。
 この日の夜は、アシカネットワークのスタッフも加わり宴会、地酒で乾杯し気が緩む。米を原料に作った地酒、これがまたメチャ強ぇ~効く~! 緩んだついでに生涯で3回目の禁煙終了。
たばこがウメ~! スモーカー全快。
バングラディシュ、ここはスモーカーパラダイス。