翌日、暗礁に乗り上げたせいか、昨夜からいろいろ考えすぎ、朝から憂鬱な気分。おまけにチッタゴンは、到着してからずーっと梅雨のような雨。空は分厚い雲に覆われ、まるで夕方のよう。

 …俺の気分そのものだ。

 アウンのチッタゴンの住まいに、朝食に招待されている。エレベーター無しの8階! ゼイゼイしながら部屋に入ると、3カ月前に生まれたばかりのアウン・ジュニアがちょーかわいい。
 インドの坊さんと、シンガポールから来たという二人の尼さんが泊まっていて、まるでゲストハウス状態だ! 5カ国間の楽しい交流と、おいしいアウンの奥さんの手料理。
 この時だけは平和なひととき。

3カ月のアウン・ジュニアと愛妻

◀3カ月のアウン・ジュニアと愛妻

 状況を回復させるため、とりあえず気は乗らないが、アシシュにお伺いの電話をしてみる。
 案の定、俺がアシシュ本人やシャンガプリア僧侶のことを非難したことで、相当面白く思っていない!

 個人的に率直に話したまでのこと。なのにどうしてよけいなことを伝えて混乱させるのか? プロジェクトを成功させて貧しい人たちを救済したくないのか? と質してはみたが、「私は、ただ公平にやりたいだけですからね」とアシシュは答える。
 さらに「ミーティングに参加してほしければ、あなたから直接お坊さん(シャンガプリア僧侶)に来るようお願いしてくださいね! さもないと僧侶も私も、次の集まりには参加しませんから」と半ば脅迫気味に言う。

 僕は電話越しにこう答えた。「そうですか、わかりました。このプロジェクトは必ず成功させなければなりません。そのためならいくらでも謝りますよ!」
 アシシュ「わかりました、おねがいします」。ツーーー。

 ……なんか前と同じパターンだな~。なんで俺のほうばっかり謝るんだよぉ。
 やっぱ、俺も所詮、日本人キャラなんだな……。

レールステーション近くの売店にて

▲レールステーション近くの売店にて 

駐車場に洗濯物を干す少女

▲駐車場に洗濯物を干す少女 

 それにしても、ブッダバンクを運営していく上で、今後逐一、彼らにお伺いを立て、その度に何かと口を挟まれていたら、何もできないじゃないか。
 本来、広くたくさんの人に利用してもらい、有能な人材を常に受け入れる許容範囲がないと、このプロジェクトの意味がない!
 いずれ政府から正式に認可が下り、彼らが役員として登録されれば、もう二度とその姿勢を変えないどころか、ますます主張を強めてくるだろう。

 以前からも言われていたことだが、実際に自分自身で見て気づいたのは、ジュマ(ビルマ系少数民族)とバルワ(ベンガル系仏教徒)がうまく一緒に事をなすことは至難の業であるということ。

 この先、場合によっては、ある決断を迫られるかもしれない。

 ……あ! ヤバい、電話するのを忘れていた! 次の集まりは明日の午前だ。シャンガプリア僧侶に電話しなきゃ。

 翌日、窓の外は雨が降り続いている。チッタゴンに来て以来ずーっと空は厚い雲に覆われていて、気分も体調もすぐれない。だが暑すぎないので、それだけが救いだ。

 ホテルの窓の外から、列車の駅前で暮らす貧困層の人たちや、子供たちが遊んでいるのが見える。
 雨が小降りになったのを見計らい、外に出た。

 「後進国」、「貧しい」と言われる国の列車の駅近郊には、決まって貧困層が住み着く。しかしバングラディシュ、ここは多すぎる……!

両親のいない兄と妹

▲両親のいない兄と妹

駅の駐車場が我が家

▲駅の駐車場が我が家

 この日午後から、予定どおり2回目のミーティングが行われた。アウン、そしてビブロップも遠くラガマテから来てくれた。アシシュは来たのだが、やはりシャンガプリア僧侶は来ていない。
 アシシュは来るなり、「シャンガプリア僧侶に電話してくれましたか?」と切り出した。

 僕は「しようと思ったが、気づいた時は時間が遅くて」と言い訳する。……嘘ではないが、実際あまり気が乗らなかったのだ。
 アシシュはすかさず「じゃあ、今すぐ電話してください。そして伊勢さんから来てくれるよう、お願いしてください!」

 ……くっそ~、こいつ、またさ指示しやがって。
 一応前日に電話をかけると言った手前、ここは従うしかない。

 「もしもし、ご僧侶ですか、伊勢です」
 「あ~、伊勢さんね」

 素っ気ない返事。電話なのに何度も頭を下げ、参加をお願いする。
 日時を先方の都合に合わせることで、なんとか約束を取り付けた。

 横で見ていたアシシュ、満足げに冷たい流し目で俺を見る。
 そして、その場を仕切るように誇らしげに話しはじめる。

 「皆さん、伊勢さんは、僕たちバングラディシュの人々のために、忙しい中を遠くからわざわざ来てくれています。ですから僕たちは、できるかぎり必要な時に集まり、彼をサポートしていきましょう」

 って! おめ~がいちばん邪魔してんじゃんかよ。
 この男の、いいふりこきには毎回驚かされる。そして驚きの発言が……。

 「ブッタバンクの法手続きのために井本さんから送金されたお金は、彼の家族のための個人的なお金だと聞き、私はとても心が痛いです。僕も家族がいるのでよくわかるんです。だから、そのお金は彼にお返ししましょう」

 「それは彼の意思に反するのでは」とアウンが答える 

 「みんなで言いましょう」とアシシュ!
 ……こいつ何を言い出すかと思うと、
 「For what ! Why I am here?」 

 「あんた、そんなこと本気で言ってんの?」と俺

 「では聞きますが、僕ははるばるここに何をしに来たんですか? 限られたCS(四方僧伽)の予算から13万円の航空チケットとビザの手配をして、送金手数料だって1万円近くかかっている。彼がなぜそこまでしてブッダバンクを成功させようとしているか、その思いを汲み取るべきでしょ。それを返金するなんて本末転倒だ」と鼻息が荒くなる俺。

 ブッダバンクの法手続き、これは俺に与えられたタスク。このミッションを成功させないと日本には帰れない。だからおまえもそのつもりで協力しろ、と言ってやった。

 ……それにしても信じらんね~!
 物事を深く考えてないっていうのは、こういうことだ。
 こいつ、まるで子供だ!

 その直後、アシシュは何やらベンガル語で不満そうにしゃべっている。アウンやビブロップが返答に手を焼いているようだ。そして、アシシュの口からついに出た切り札の一言。

 You don’t Know about our culture at all!
 「伊勢さん、あなたはバングラディッシュの文化を何もわかってない」

 今まで何度この切り札を使われたか。
 そしてとっさに出た俺の一発逆転、名台詞。

 I know the culture than you! It is the International standard.
 「俺はあんたより文化を知っている。それは世界基準だ」

 ……アシシュ黙る。
 ざま~みやがれ

 横で聞いていたアウンとピブロップ……よく言った! という顔。

 それはそうと、法登録には7人の役員が必要だ。それにはあと3人のメンバーを探さなくてはならない。アシシュの主張した面接などは当然却下している。
 メンバーの選出は、チャクマ、マルマ、バルワなどの部族から、できれば女性を含み、それぞれ公平なバランスが理想である。

 ここにいるビブロップは、すでにチャクマ族の村でブッタバンクを始めていて、以前から彼を強くメンバーの一人に推薦してきた。アウンと僕はアシシュに訊ねた。「あなたは彼を役員にすることは賛成ですか?」
 彼は一瞬、戸惑った様子を見せたが、そこはさすが世渡り上手……分が悪いと見たか、

 「賛成ですよ!」
 「……ありがとうございます」

 次のミーティングには、ビブロップは仕事があり参加できないため、シャンガプリア僧侶には、アシシュのほうから説得の意味で、このことを伝えるよう要請した。 

 そして俺は決意を伝えた。
 「僕は決めました。何が起ころうと、妨害されようと、僕はこの任務を達成するだけです。そのためには痛みや犠牲も覚悟しています」
 「その意味わかりますね?」と言いながら、チラっとアシシュの方に眼をやった。

 今後の見通しを非常に懸念していること。なぜなら、何かを始めようとする度にメンバーの中で非難や中傷が起きるようでは(ほとんどがバルワ側が火種だが)運営が困難になり、何も前に進まない。

 最後にこう伝えた。
 「賛同協力する人はウェルカムです。しかしそうじゃない人には、それなりの行動に出ます」と。

 2カ月前、アウンが組織としての法登録の必要性を訴えた時、CS(四方僧伽)の創立者の井本さんは、必要な経費を作るため、なけなしの預金を崩し、家族の生命保険を解約してまで、そのための費用を準備した。
 彼の個人資産は長い間、各国で行われている貧困地や災害地でのライフライン支援や紛争地での難民への薬品や食料支援、さらに小規模融資などに費やされ、困窮していた。

 それを知った俺は「自分も保険は入ってないっすから大丈夫ですよ」と軽い冗談のつもりで言った。

 「僕のことはいいんです。家族のことを考えると心が痛いのです」と彼は答えた。

 そりゃそうだ! 独身の俺とは状況がまるで違う。彼には奥さんと3人の子供がいる。なんて俺は軽薄なことを言ったんだろう……恥ずかしい。

 それにしてもなぜ、なぜそこまでする! 俺にはとうていできない。
 自己を犠牲にし、人々を慈悲の心で救済する。仏道とはそういうことなのか……。
 だとしたら、自分などとうてい及ばない……俺の求道心など、ゴミみたいなもんだ。