もう自己紹介は不要と思うが、吾輩は狼である。

 まずは吾輩が中国人を嫌いかと聞いてきた輩がいたので答えておこう。
 中国人だろうが、チベット人だろうが、日本人だろうが、人間なぞ所詮人間だ。自分の為、あるいは身近な者の為に生きて、良いこともすれば悪いこともする。
 チベット人だからといって一人残らず善良なわけでもなければ、中国人だからといって一人残らず極悪非道なわけでもない。
 そもそも少々の差はあっても、吾輩の胃袋に納まってしまえば、たいした違いなどない。ただ化粧品や香水は抑え目にしてくれたほうが食べた後に胸焼けに悩まされずにすむので、読者諸君が肉食獣に襲われる時はエチケットとして守って欲しい。

 さて今回は吾輩がラサで出会った一人のチベット人について語ろうと思う。
 その男の名前は、ドンドゥプ・ワンチェン(Dhondup Wangchen)。
 ドンドゥプ・ワンチェンとは何者か?ごく普通のチベット人の男だ。
 妻を愛し、子供達を愛し、そして自分の国チベットを愛している。そんな、ごく普通の男だ。
 連れ合いを愛し、子供達を愛し、群れを愛するのは、吾輩たちとも、なんら変わらない。
 余談だが、お前さんらは、よく「男はみんな狼」などと失礼なことを言うが、吾輩たち狼の牡は生涯の間にただ一頭の牝狼を愛する。
 吾輩たちは人間のような節操のない生き物とは違うのだ。これは是非覚えておいてほしい。本日の要望その2だ。

 話を戻すと吾輩がワンチェンに最初に興味を持ったのは、ワンチェンが外の世界を知っていたからだ。
 ワンチェンは1974年10月17日に青海省海東州化隆回族自治県の農家に生まれた。
 漢字ばかりの地名だが、これは中国人たちが勝手につけた地名で、本来の地名で言えばチベットの北東部アムドのツォシャルという場所らしい。
 ワンチェンは、他の多くのチベット人と同様に子供のころに正式な教育という奴を受ける機会が与えられなかった。
 1993年、ワンチェンは従兄弟と一緒にヒマラヤを越えてインドに向かった。あのナンパラ峠を通ったかどうかまでは知らないが、とにかく5000m級の山を越えてチベットを離れた。
 しかし、ワンチェンはチベットを脱出する目的でヒマラヤを越えたわけではなかった。ただ直にダライマラの説教を聞いてみたかった。それだけの理由でワンチェンはヒマラヤを越えたのだった。
 死ぬかも知れないヒマラヤ超えを、それだけの理由でやり遂げた男。吾輩が興味を持つには十分な理由だった。

 2007年も半分以上過ぎ去ったころ、ワンチェンのもとをスイスに亡命している従兄弟、ギャルジョン・ツェティン(Gyaljong Tsetrin)が訪れた。
 1993年にワンチェンとともにチベットを離れたツェティンは、ワンチェンのようにチベットには戻らずにスイスに亡命していた。そのツェティンがある計画を携えてワンチェンを訪れたのだった。
 計画は、言葉にすれば簡単なものだった。2008年に北京オリンピックがある。北京オリンピックで中国が世界の注目を集めている時期は、同時にチベットのことを世界の人に知ってもらうチャンスでもある。
 そこで、ワンチェンがチベットで普通に生きるチベット人達の生の声を撮り貯め、それをスイスに送りツェティンが短い映画の体裁にまとめあげ発表する。

 言葉にすれば簡単だが、それは多くの危険をはらんだものだった。
 ワンチェンは、友人である僧侶ジグメ・ギャツォの助けを借り、チベット各地を回り人々の声を撮り貯めていった。
 年老いたもの、若者、男、女、みんな思い思いに語った。オリンピックをどう思うか。自分達の土地を奪われる現実について。あるいはダライラマへの思いを。
 吾輩に理解しがたいことの一つは、映ったものたちは皆、顔を隠そうとしなかったことだ。
 ワンチェンは、映像に顔を晒すことの危険を、全ての者に説明し、顔は隠しても構わないと告げていた。
 ところが皆、顔を隠してしまっては、人の心に真実として伝わらないと毅然と、あるいは、はにかみながら自分の顔をカメラの前にさらしてそれぞれの言葉を語った。

 2008年3月10日、ワンチェンは撮影を終えた。フィルムは秘密裏にチベットの外に持ち出される手はずになっていた。
 ちょうど、この日は、お前さんらの国でも報道されたチベット騒乱の始まった日でもあった。
 フィルムは無事に持ち出されたが、3月26日ワンチェンは中国当局に逮捕されてしまった。
 彼の行ったチベット人の生の声を撮影するという行為が「分裂主義を煽動する罪」に該当するという理由だそうだ。その直後に助手だったジグメ・ギャツォも囚われてしまった。
 吾輩は、ワンチェンの行方が気になり、探してみたが見つけることはできなかった。ワンチェンの親戚や友人たちもワンチェンの消息を知ることはできないでいるようだった。

 ワンチェンの撮った映像は、ジグデルと名づけられた。チベット語で恐怖を乗り越えるという意味だそうだ。
 それにあわせて英名は「Leaving Fear Behind」と名づけられた。
 ツェティンの仲間は、北京オリンピック開会式前日に記者達を呼んで北京で上映会を行おうとしたらしい。
 さすがの吾輩も北京にまでは行けぬから伝聞になるが、上映会は準備万端だったが直前に当局の知ることとなり、中止となったそうだ。
 この時点ではワンチェンの消息も、ジグメ・ギャツォの消息も全くわかっていなかった。

 10月になりジグメ・ギャツォが釈放された。刑務所内での拷問でだいぶやつれていた。
 2009年3月、2008年のような大きな騒乱は起きなかったがいろいろと小さな出来事は起きた。その件については後日語ろう。ジグメ・ギャツォは、この月ふたたび中国当局に捕らえられた。

 2009年4月、この月は、二つの良いニュースがあった。
 一つは、ジグメ・ギャツォが再び釈放されたこと。
 もう一つは、ワンチェンの消息がわかったことだった。
 ワンチェンは、西寧市第一拘置所に拘束されていた。彼の家族が雇った弁護士は、拘束されて一年、初めて彼と接見することができた。

 しかし、その後は悪い知らせが続いた。
 ワンチェンは、拘置所内での拷問と、不衛生な環境での虐待で、衰弱しB型肝炎に感染していた。しかも治療すらほとんど受けられずにいることがわかった。
 又、一度は接見できた弁護士も、「国家機密に関する」という理由でそれ以後の接見は認められなかった。
 それどころか、7月13日中国当局は彼の弁護士に対して、これ以上彼の弁護を続けるならば、弁護士資格の剥奪もありうると通達してきた。

 吾輩が語っている今、2009年10月17日は、ワンチェンの35歳の誕生日である。ワンチェンはいまだ釈放されないし、裁判もはじまっていない。
 海外では、「国境無き記者団」や「アムネスティ・インターナショナル」そして国際チベット支援組織「Students for a Free Tibet」等が、ワンチェンの解放を求めて活動していると聞く。
 吾輩も、ワンチェンが、妻や子供に、もう一度微笑みかけれる日が、一日も早く来て欲しいものだと思っている。

 ◎ジグデル(日本語字幕付:ダイジェスト版)
 ◎ITSN(国際チベットサポートネットワーク)主催のワンチェンさんの解放を求めるオンライン署名ページ