我が輩は狼である。チベット仏教で一部の高僧は仏の化身(トゥルク)として地上に転生してきているという話をしたことがある。チベットでもっとも有名な僧侶であるダライ・ラマは観音菩薩の化身とされている。観音菩薩については、インドの古い仏教遺跡にもその姿が見られることから仏教以前のインド神話に起源があるという説もある。
 日本においても観音菩薩は、聖徳太子の時代から近代にいたるまで「観音様」と呼ばれて広く民間の信仰を集めてきた。今でも各地に、観光名所として多くの観音像が存在していることからも、日本人にとってなじみの深い仏の一つであることがよくわかる。 ところで面白いのは、浄土宗や浄土真宗において観音菩薩は阿弥陀如来の脇侍とされることがある。「南無阿弥陀仏(ナミアミダブツ)」と唱えれば極楽にいけるというのが、一般に知られる浄土教の教えであるから、阿弥陀如来が浄土教において中心的な信仰の対象であることは不思議なことではない。
 では、何が面白いのか? ダライ・ラマが観音菩薩の化身とされるように、チベット仏教には阿弥陀如来の化身とされる僧もいる。ダライ・ラマの属するゲルク派においてダライ・ラマに次ぐ高僧とされるパンチェン・ラマが阿弥陀如来の化身なのだそうだ。日本とチベットで順位が逆転しているというわけだ。あるいは仏の世界と人間の世界で順位が逆転しているということか。
この順位の逆転には、アメリカにおいて建国の父であるジョージワシントンが一番安い1ドル紙幣に載っていることと同じような面白みを感じる。

 せっかくなのでパンチェン・ラマについてもう少し語ることにする。ダライ・ラマが人民解放軍によってチベットを追われた後もパンチェン・ラマ10世はチベット本土にとどまり続けた。チベットに残り、中国側に協力することでチベット人を守ろうと考えたのだ。中国に協力し周恩来首相とも親交のあったパンチェン・ラマの行動をチベット人に対する裏切り行為と感じたものも当時はいたようだ。
 しかしながら、彼の心は一度たりとチベットを裏切ってはいなかった。1964年に共産党の命令でダライラマ法王を非難する演説を命じられた時も逆に「ダライ・ラマ法王はチベットの真の指導者であり、法王は必ずやチベットに復帰される。」と演説し共産党の怒りをかい、四年後文化大革命のさなか10年の獄中生活に入る原因となった。
 こうした苦難を乗り越え、パンチェン・ラマはチベット仏教の保護に尽力を尽くし破壊された寺院を復興するなど、チベットに残ることで自分にできることをやりとおした。
 1979年彼は中国人の女性と結婚した。戒律上彼は結婚することはできなかった。この結婚が彼自身が望んだものなのか、彼に戒律を破らせることでチベット仏教の権威を貶めようという共産党の意思だったのか、今ではわからない。とにかく彼は1989年まで、中国共産党に協力することでチベットを守ろうと努力を続けた。

 しかし1988年12月、パンチェン・ラマの運命に大きな影響を与える人物がチベット自治区を統括する共産党書記として赴任する。今の中国国家主席である胡錦濤だ。以前も話したように、チベットでは1959年にダライ・ラマ法王を守るべくラサの市民たちが立ち上がった3月に、毎年中国政府に対する抗議行動が起きている。
 赴任した胡錦濤は早速何をしたか? 1989年1月19日、彼は前年抗議を行ったことを理由に拘束状態にあった僧侶たちの処刑を決定した。僧侶たちは見せしめとして地面に頭を打ち据えながら処刑された。数日後、パンチェン・ラマは中国共産党の命令で演説をすることになっていた。その場にはチベット自治区の責任者である胡錦濤も同席していた。パンチェン・ラマは共産党が用意していた原稿を無視し、中国に協力してきた30年間は過ちであったと語った。それから5日後、彼は「心筋梗塞」により死亡した。

 1989年の3月は、チベットでは過去最大規模の抗議活動が行われた。胡錦濤は、これを徹底的に弾圧した。地方の長官で終わると言われていた胡錦濤は、この弾圧を功績と認められて、党中央に迎え入れられた。2008年3月に1989年以来と言われる騒乱がチベットに起きた時に、国家主席である胡錦濤が徹底的な弾圧を命じたのは、ある意味自然なことかもしれない。

ニマ君の写真←ニマ君の写真

 パンチェン・ラマはダライ・ラマ同様にトゥルク(転生活仏)であるから、パンチェン・ラマ10世の死によってパンチェン・ラマ11世が生まれている。それでは、そのパンチェン・ラマ11世は今どこにいるのか? 実は、パンチェン・ラマ11世は2人いる。チベット仏教、ダライラマ法王によって認定された正統なパンチェン・ラマ11世と、中国政府によって政治的な目的で認定されたパンチェン・ラマ11世だ。1995年5月14日、当時6歳であったゲンドゥン・チューキ・ニマという少年をダライラマはパンチェン・ラマの生まれ変わりだと正式認定した。三日後、ニマ少年と彼の家族は姿を消した。翌1996年5月28日、中国政府はニマ少年を「保護するために」連行したことを認めた。しかし、彼や彼の家族の消息はいまだ全くわかっていない。

 パンチェン・ラマ11世の身に起きたことは、将来生まれてくるダライ・ラマ15世の身に起きるであろう出来事でもある。またパンチェン・ラマ11世をダライ・ラマが認定したように、ダライ・ラマの生まれ変わりが誰か?となった時に高僧であるパンチェン・ラマの意見は大きな重みを持つ。中国共産党は、ダライ・ラマ法王がなくなるまで、あるいはそのあともパンチェン・ラマ11世を飼殺しにすることだろう。2010年現在、彼は人生の四分の三を幽閉下で暮らしていることになる。

 4月25日はゲンドゥン・チューキ・ニマの誕生日だ。
 チベット本土の自由に言葉を言えないチベット人の代わりに一吠えさせて欲しい。
「パンチェン・ラマを帰せ!!!」