評論、評伝、インタビューに加え、アイ・ウェイウェイ自身によるテキストと、120点を超える豊富な図版を併録した小社刊『艾未未読本』──その刊行を記念して編著者である牧陽一氏へのインタビューをお届けします。【編集室】各写真をクリックすると拡大/キャプション(敬称略)が表示されます。

対談中の著者と艾未未(2010年9月2日)

──艾未未氏との出逢いをお聞かせください。

 艾未未に最初に会ったのは1995年の8月5日です。久しぶりに北京へ行くというので大阪にいた黄鋭さんに連絡したのです。当時黄鋭さんは魏京生との接触を理由に中国への入国を拒否されていました。黄鋭さんは北京の春、西単に誕生した文学雑誌『今天』の発起人であり、星星画会の主要メンバーでした。私たちは1982年に北京で初めて会って以来30年も付き合っている旧友です。彼に「誰に会うべきか」と訊いたら「艾未未が帰って来ているから会うといい、東村の榮榮や張洹、馬六明にも会うといい」「艾未未にはブラックカバーの売上金5万円を持って行ってほしい」と電話番号も教えてくれました。

馬徳昇・王克平・黄鋭・牧陽一・長谷川良一・艾青・高瑛(1983年8月)

 早速北京の東四、十三条の艾未未の実家を訪ねました。艾未未は清朝の染付の碗を割って、写真に撮っていました。部屋の中には「目隠しした毛沢東」「マオ・イメージズ」「自転車のタイヤ」などが掛っていましたが、タイヤはデュシャンの作品の補完物です。クイズみたいで面白いなと思いました。大した話はしませんでしたが私が83年の夏にお父さんの艾青に会ったことや星星画会の仲間だと知ると、とても打ち解けてくれました。以来17年ほとんど毎年会っていますね。90年代はまだ無名でしたからよく遊んでくれました。辛い四川料理や仿膳の宮廷料理も御馳走になった。1998年私のデビュー作『アヴァン・チャイナ』もたくさん買ってくれました。明日帰国という時、「把你洗干净然后让你回国」(お前をきれいに洗ってやってから国に帰してやる)と言って東四のサウナに連れて行かれました。その時は東村の朱冥、馬六明、榮榮も一緒でした。みんな貧乏で食えないので、裸になると随分痩せていました。筋肉隆々の大男に垢すりをかけられている4人を艾未未は枕元に立って大笑いして見ていました。

著者と艾未未(1998年11月3日)

 2000年は資生堂ギャラリー、水戸芸術館の「亜細亜散歩展」の調査でフェイクスタジオに行きました。数千の石斧を並べた作品や、BC4000年ぐらいの仰韶文化の彩色土器に工業用塗料を塗った作品がありました。私は艾未未に「考古学者が怒るのではないか」というと彼は「もしこんなカラフルなペンキが当時有ったら、古代の人だって塗るだろう」と言っていました。常識を超えていると思いました。結局彼の作品のスケールが大きすぎてグループ展にはそぐわないという結果になりました。また2003年鳥の巣プロジェクトが始まった時、北京798の食堂で艾未未に「なぜ国家行事に協力するのか」と訊きました。彼は「スイスのヘルツォーク&ド・ムーロンに頼まれたから仕方がない」と言っていましたが、私には納得できず、数年会いませんでした。
 四川汶川大地震以降、彼のブログをいつも見ていましたが、ブログも封鎖されて、だんだん心配になりました。2009年9月連絡して会いに行きました。ケータイメールで「東四、十三条○号」とだけ書かれていました。あの艾未未の実家です。行くと中庭でみんなが水餃子を食べていました。弟の艾丹、左小祖咒もいました。久しぶりにゆっくり会えてうれしく思いました。それから車で通県の方にある作業場へ向かいました。李占洋の工作室では「ひと周りの獣(十二支の頭)」が完成間近でした。1001脚の清朝の椅子を並べた巨大な作業場にも案内してくれました。でも後でよく考えてみたら、成都での殴打事件の後、ミュンヘンで手術する前です。かなり具合が悪かったはずです。

──『艾未未読本』刊行の動機をお聞かせください。

 2010年9月には学生の宮本さんと酒井さんを連れて艾未未のフェイクスタジオに行きました。艾未未は私たちの質問に誠実に答えてくれました。この時に閉鎖されたブログを翻訳しないかと本人に言われ、すぐに承諾して作業に入りました。でも翌年の4月3日、艾未未が拘留されたニュースが入りました。私は止まってしまったツイッターをずっと見ていました。本人同様私も嫌な予感はあったのですが、罪のない人を捕まえることはないと思っていました。それからの毎日は心配で気分が塞いでいました。と同時に中国政府に対する深い絶望を実感しました。私は1979年大学に入ると同時に中国語を学び始めました。当時は国交回復後の日中友好ブームで、私もこれから中国と日本は素晴らしい関係になることを疑っていませんでした。しかし留学してみると実態は酷いものでした。庶民はいい人ばかりでしたが、星星画会の展覧会が当局によって禁じられたり、反精神汚染キャンペーンで自由な表現が弾圧されたりしました。その後も六・四天安門事件によって政府に対する怒りは止められないものとなりました。さらに友人の艾未未逮捕によって私は「中国政府に見切りをつけた」ということになります。これからは何の遠慮もなく政府批判をするでしょう。『艾未未読本』は私にとってそうした決意も示す作品です。

榮榮・艾未未・馬六明・朱冥(1998年11月6日)

 艾未未が拘留されていた時、いつも聞いていたのが左小祖咒「我不能悲伤地坐在你身旁」(俺はお前の傍らで悲しげに坐っているわけにはいかない)でした。この時期ネットにはこの曲に空っぽの椅子がいくつも連続して写される映像がアップされていて、研究室で一人になるとそれを見て泣いていました。そして香港の学生たちが艾未未釈放のために動き始めました。私も先ず中国大使館にメールを出して、艾未未をすぐに釈放するように要求しました。するとメールが遮断されました。私と宮本さんは「尋ね人」のポスターを大学内に貼りだしました。また震災後節電が促されたので、清水さんと艾未未のフェイクスタジオの門の写真を使ったうちわをデザインし600つくって配りました。Tシャツもつくりました。「結局誰もがみんな艾未未になればいい、そして中国政府は世界中の全ての人を逮捕してみろ。」と思いました。それで5月には艾未未の草泥馬のパフォーマンスをやって宮本さんに連続写真を撮ってもらい、ブログにアップしました。それが半年後の11月に注目されてブログのアクセスが1日3千を超えました。艾未未がヌード写真でわいせつ罪にとわれた時、ファンサイトで100人を超える人がヌード写真をアップして、艾未未を擁護したのですが、私の写真もそこに転載されたのです。
 6月22日釈放のニュースが入りましたが、軟禁状態は続いています。まだ何も終わってはいないと思います。私たちは初めて覚悟というものを意識しましたが、これはスタートにすぎません。『艾未未読本』もまた始まりにすぎません。

──艾未未氏の近況についてお聞かせください。

 2012年の4月4日、子供と二人でフェイクスタジオを訪ねました。その夜にサッカーのアジアチャンピオンズリーグFC東京対北京国安の試合があったので、7、8年前から東京のサポーターをしている私たちは初めて国際試合の応援にやって来たのです。せっかくだから艾未未に『読本』のゲラを見てもらおうと朝の8時半に行きました。彼の朝食でしょう、小さな肉まんを一個もらいました。パソコンの上の天井にはカメラがあって、私たちが画面を覗き込むとすぐにツイッターで「誰か後ろから来たよ」と。艾未未は「ふたりの日本人」と答えています。寝室にもカメラを増やして24時間放映していると言います。監視カメラが15個あると言いますが、それをもっと増やして、全てのプライバシーを世界に向けて発信していたのです。政府がそんなに私を監視したいのなら、全てを見せようと言う洒落ですね。報道では禁じられるまでの2日間に520万のアクセスがあったと言います。ちょうどその時に私はフェイクスタジオにいました。そういえば拘留された日から1年過ぎていました。

対談中の艾未未(2011年9月)

「私もサッカーを見に行きたいな、チケットは余っていないかな」と彼は言っていましたが、そんな普通の事も出来ない。軟禁というのは普通の神経ではとても耐えられない。それでもユーモアを忘れない艾未未という人は実に面白いな、と思います。「試合のスコアは?」「3ー0で東京だね」「そうかな、ははは」と笑っています。実際は1ー1の引き分けでした。酷い審判で、北京側から賄賂でももらっているのではないかと思わせたほどでした。4万の観衆に数千の警察と軍が出ていました。これが本当のアウェイだと実感しました。しかし警察と軍は反日行動から少ない日本人を守っているのではない。サッカーファン同士の様子は和やかなもので向こうも手を振っていました。つまり警察と軍が中国人と日本人の庶民を恫喝している。対立は中国対日本などではなく、権力対庶民なのです。ここまで来るとかなり危うい政権なのだと素人にもわかります。ボディーチェックも厳しくてライターまで取られました。でもしばらくすると警察の連中がトイレでたばこを吸っている。私も火を借りて一服し、見ると警官は煙草を床に捨てましたので、私も捨ててやりました。試合が終わってもすぐには帰れない。中国人客が帰ってからです。軍隊が整列して退場する度に私たちサポーターは「ヘイ!」と掛け声をかけてやりました。それは試合中にパスが通るとかける掛け声です。サポーターの人たちもやるものだなと思いました。
 艾未未は東日本大震災後の事も心配していました。「失敗があるからこそ良くなっていくのだ」と言ってくれますが、失敗を認めない政府よりはまだましだとしても「失敗のしすぎだね」と答えました。しばらくするとドイツの建築家御一行様が訪問。ホテルに戻りました。

──読者(とくに艾未未を知らない読者)へのメッセージをお願いいたします。

 艾未未は左小祖咒のことを「老練な不良」と言っていますが、自分自身も老練なる不良です。作家の王朔にも通じる「我是流氓、我怕什么?(おれは不良だ、俺が何を恐れるのだ?)という態度は、これまで単に悲劇的で受動的なままだったインテリとは違います。そして何といってもチャーミングで諧謔性を忘れません。実は深刻になれば実に深刻な問題も、格別なお笑い的要素で切り抜ける、一休さんみたいな頓智もある。「アホなおっさんだな」と思いながらも引き込まれる魅力的な人間です。どんな人の質問にも誠実に答え、言葉を選んでいます。

艾未未と路青(1995年8月5日)

 私の翻訳はまだまだですが、できるだけその魅力を失わないように努めました。コムデギャルソンが艾未未のTシャツをデザインしていますが、艾未未を知って、彼に注目することは世界の若者のファッションでもあるのではないかと思います。2011年の最も注目される世界のアーティストの第一位が艾未未です。幸いこの人は飛行機で2、3時間という北京に住んでいて、私たちにとっても馴染み深い。艾未未自身が「私は共産されたい」つまりみんなに利用されたいと言っていますが、彼の作品には面白い方法がいっぱいあって、遊び上手なガキ大将の様でもあります。人生の楽しみ方というものを知っています。大いに感化されていいと思っています。

──艾未未関連書籍の続刊のご予定は?

『読本』は企画から作業終了まで2年以上かかりました。今回はより効率的に艾未未の全体像を把握できるように構成しました。まだ翻訳すべき文章もいっぱいあります。版元さえOKが出れば、続編を出したいと思っています。