スウェーデン在住の茉莉さんよりチベット安居工程(住宅建設プロジェクト)についての特別寄稿をいただきました。最近日本でも報道されている内モンゴルの抗議の原因をも想起させるチベットの現状に関する論考です。ご高覧ください。

 最近、中国共産党は、マルクスを持ち出すのは、あまりお好きでないようだ。党としては目下のところ勢い盛んに資本主義を行ったため、資本主義の倫理の最低線をぶち壊してしまい、マルクスが批判した西洋資本主義にくらべても、さらに腐敗し野蛮なものとなっている。今でもマルクスを読んでいる人はいるが、それはむしろマルクス主義に反対する人たちであって、たとえば金融の大御所である索羅斯などの人達は、ますますマルクスを社会の「病理学家」としての価値を認めている。

 社会の「病理学家」の奥深い洞察力によって、マルクスは英国のインドにおける植民統治を解析し、英国がインドにおいて達成すべき二つの重要な使命──破壊性的使命と建設性的使命を指摘した。「植民主義の二つの使命」についての論述は、中国共産党がチベットでおこなったあらゆる行為を認識させ、一つのきわめて説得力のある独特な視角を提供している。

 ここ数年、中国共産党当局はチベットにおいて、いわゆる「安居工程」(註・住宅建設プロジェクト)をやりはじめたが、これこそその破壊性と建設性の典型的な見本である。その強制的な全住民大移転計画はチベット民族を生死存亡の危機に陥らせている。うわべだけ見れば、チベット民族を新築の家に住まわせるのを、当局は「慈善事業」といっているが、実際上は中共が用いて来たこの種の大々的にひけらかす「善」であって、むしろ根の深い「悪」の基礎の上に立てられているのである。

一、「安居工程」に対する毀誉褒貶ははっきりと分かれている

 少し前の人民代表大会と政治協商会議において、チベット党委員会書記の張慶黎など政府職員は得意になって自賛し、彼らがチベット自治区で実施してい「安居工程」の成果、即ち政府資金援助による住宅建設、農牧民の住居条件の改善を開陳した。彼らは、これまでにチベット自治区で既に完工した農牧民の「安居工程」は27.48万戸、すでに140余万人の農牧民が新居に住み込み、全部で郷鎭の数は159となったと述べた。

 このような大規模のチベット人の大移動は、人を驚かすものがある。チベット族の人口わずか二百余万人だけの「小チベット」(即ちチベット自治区)において、移動者は約60%を占めている。このほかチベット族数百万人が分かれて住む四川・青海・甘粛・雲南の4省区においても、「安居工程」は非常な勢いで進められており、その数字もまた注目すべきものがある。中共当局は、あと3年のうちに、すべてのチベット人を転居させると誓っている。

 中国共産党側のメディアは、これについてまさに歌功頌徳といったように礼賛し、「これは一種の文明進歩であり、社会主義の優越性の体現である」だの、「村里の景色は整備されて優美であり、農民の素養も高まった」とか、「チベット人民はますます幸福な生活を過ごしている」と賛美の声を上げた。

 ところが、海外の自由なメディアの報道では、むしろ全面的に批判の声が上がった。2008年の国連人権理事会第9回会議において、チベット亡命政府のスイス事務所員テンジン・サンペイ(Tenzin Sangpei)が発言し、チベットの牧民ドンラブ・ワンチェ(Don-grub Wanche)が秘密裡に制作した一部の記録映画《遠離恐惧》(Leaving Fear Behind)を引用しながら、参会者に向かって、中国政府が2006年に農牧民安居工程計画を推し進めてから、大量のチベット牧民が町なかの居住区に移住させられ、膨大な数の家畜が屠殺されたり、強制的に売りに出されたりしたことを明らかにした。彼は、中共当局がこの一事でチベット人の伝統的生活方式をメチャメチャにし、そのうえ、チベットの伝統的文化も破壊し去った、と強調した。

 去年12月、国連食品権利専門員のドゥシュッター(Olivier De Shutter)は、中国訪問を終えてから、一篇の報告書を発表し、退牧還草政策のもと、牧民をなんの選択もないままに、無理にかれらの家畜を売り払わせ、その上で定住という困難な境遇を迫るなど、あってはならないことである、とした。ドゥシュッター専門員は、中国当局がチベットや内蒙古などの地方で実施している牧民の強制的移住政策は、すでに関連国際公約に違反している、と表明した。世界的に著名な《ヒュ-マンライツウォッチ》(Human Rights Watch)という組織もまた中国政府にチベット牧民の強制移住の停止を勧告している。

 ひとつの「安居工程」に対し毀誉褒貶は、河川の清濁のように、はっきりと分かれている。この問題を認識するには、われわれは植民主義の歴史を振り返ってみる必要がある。マルクスは曾て《ブリテンのインドにおける統治の将来の結果》の中で、次のように指摘している。「英国はインドにおいて二重の使命をやり遂げねばならぬ:一つは破壊性の使命、即ち古いアジア式の社会を消滅すること、ほかの一つは建設性の使命で、即ちアジアにおいて西洋式の社会の為の物質的な基礎固めをすることだ」。

 マルクスのこの段の話に少し手を加えると、チベット問題にも運用できる:中国政府はチベットにおいて、二重の使命を完成しなければならない。一つは破壊性の使命、即ちチベット伝統の社会序列およびその文化を消滅させること、ほかの一つは建設性を有する使命で、チベットにおける大漢族専制政権による略奪と統治の為に物質的基礎固めをすることである。

 このような『二重の使命』はどうしたら実現するであろうか? 最初に、植民者は密閉型社会の表門を打開し、暴力がらみで征服を実現することだ。そののち、当地の伝統文化を完全に叩き壊し、当地の資源を略奪し、暴力のほかに、経済力と専制政権の統治能力を必要とするのである。

二、荒れ地の開発と鉱物の採掘はチベットの環境を致命的に破壊する

「安居工程」が生まれた経過をたどると、1998年の長江大洪水にまで逆上らねばならないが、さらに遠く、中国共産党がチベットにおいて荒野を拓いて農地とした五十年代まで逆上る必要がある。

 中国共産党の大軍がチベットに入り込んだ当初、軍需食糧を調達するため、当時のチベット軍区政治委員の譚冠三は農場開発をおおいに支持した。1952年8月、チベット軍区の「八一農場」が真っ先に高原上に荒野を拓き種を蒔いたが、それは軍区に欠乏している野菜と果物だった。そのご、中国共産党軍が占領しているチベット各区で、「荒野では食糧が必要、内地の野菜をチベット高原に持ち込もう」とのスローガンが流行した。処女地開墾の盛んな闘志を胸に、中共将兵はチベット区の草原の草を根こそぎ刈り取り、篝火を焚いて歌を歌い、《南泥湾》(註:中国共産党延安時代の流行歌)という開墾を讃える歌舞を演じた。

 一つまた一つ、野菜基地とリンゴ園が高原に出現し、中国共産党を大いに得意にさせ、かれらは『建設性』多大なりと考え、軍隊による開墾以外に、内地の労働改造犯を大挙して高原に送り込んで、青海チベット区だけで数十カ所の労改農場を手掛け、数百万ムーの荒れ地を開墾した。無理やりに荒野を開墾させられた一群の労改犯は、監獄農場を青海省の『食糧庫』に変えたとされ、青海省海西州の徳令哈農場だけで毎年直ちに国庫に上納する統制購入の穀類が数千万斤とされた。これと同時に中国共産党はさらにチベット区において労改工鉱企業を数十カ所創設し、大規模に鉱物の採掘を開始した。
 数十年の開墾や採鉱、草地を掘り食料の種を蒔いたことの、高原に与えた破壊性の悪結果は、次第次第に表面化して来て、青海省南部に位置する三江源、即ち長江、黄河、瀾滄江の三本の大河の水源地では、中国共産党の不合理な開荒種地のあと、もともと脆弱な生態環境は、草の覆いの庇護を失い、土壌は強風で削り去られ、残されたのは一面の砂礫であった。あたりの氷河は狭まって後退し、湖水・沼沢は縮小し、地下水位は下がってしまった。気候は異常で自然災害が激化した。雹が降り、霜が凍り着き、日照りが続き、雪害は増える一方。草地の退化により害虫や野鼠の危害が深刻になった。

 1998年に長江で大洪水が発生し、中国全体で29の省と市が災害に遭い、被災した人数は1億人以上にのぼった。この事件は中国共産党当局を驚愕させた。結局かれらが認識するに至ったことは、三江源上流の生態環境の衰退問題だった。三江の中流下流の広大な地区に旱魃や多雨の災害が頻繁に起こると、長江や黄河の流域の生態の安全を直接脅かすに至り、中国人に絶えず新しい巨大な災難をもたらしているのだ。

 上述の数十年の歴史の変遷は、われわれに目を開かせた。中国共産党のチベット植民においては、あの二つの使命──破壊性と建設性が互いに織り混じって、互いに浸透しているということである。『建設新チベット』のスローガンのもと、中国共産党当事者はチベットを彼らの原料産地に作り変え、その自然資源を極度に搾取したのだ。生産力と生産関係の角度から見れば、たとえ植民主義者が「建設性使命」といっても、当地の発展のために作り出したある種の物質が前提になっており、当地の人民にしてみれば、甚大な犠牲と苦痛という代価を支払うことになるのだ。

 長江大洪水ののち、中国共産党がチベット各区において採用した措置は、『退耕還林』であった。2003年、大規模な退牧還草計画がまず黄河の水源の瑪多県地区で実施され、以後逐次ほかの各区にも拡大された。党は生態悪化区域から農牧民の移住を開始し、その他の地域に移動させて、新たな土地に居住させた。このように、漢族がチベットに乗り込み、荒野を開墾し鉱山を開削したことにより醸成された災難のため、先祖代々高原と共存してきたチベット民族が、家郷を失うという代価を支払わされるとは。生態保護区域の計画が、のちのち大規模な人民大移住に変わるであろうことは明らかである。

三、強制移住はチベットの伝統的な社会機構を解体させる

 生態をもって移民の理由とし、中国共産党は全チベット区において全住民移住運動を巻き起こしたが、チベット族の鋭い眼力は、中国共産党の目的は環境を考慮したものではなく、心底には測り知れない政治的なもくろみがあると見抜いている。

 1853年、マルクスは《ブリテンのインドの統治における未来の結果》の中で『彼らは高度のインド文明を用いて、その土地のコミューンを破壊し、その土地の工業をダメにして、その土地の社会にあって偉大かつ抜きん出た物事すべてを叩き壊し、そうすることでインドの文明は消滅させられるのだ』と述べている。

 チベット文明の中での『偉大にして抜きん出た物事すべて』は、広大深遠なチベット伝来の仏教文化である。数千年の間、生き延びて発展するなかで、チベット人民は高寒地区に適合した生活方式を創造した。チベット伝来の仏教の影響を受けて、チベット族は高原の上で農耕と小規模な牧畜に従事してきたが、彼らは生命を尊び、自然を畏敬し、大自然と調和の取れた付き合い方をしてきた。サミュエル・ハンチントンは『文化は制度の母である。』と言ったが、チベット伝統の制度や文明もやはり仏教文化と緊密な関係にある。
 中国共産党がチベットを占領して五十余年、その間に彼らは大砲でチベットの伝統制度を打ち壊したが、チベットの無形の文明、即ち観念文明と人の内なる精神文明を叩きこわすことは出来なかった。チベット人は、依然としてダライラマを信奉し、彼らの家郷のお寺において彼らの指導者を祭り、お年寄りや同村人に気を配り助け合い、すべて伝統的な道徳倫理をもって自己の行為を規制するのである。

 しかし、誘惑と強制とを手段に用いた大移住運動は、チベットの『無形の文明』を瀕死の境に追い込んだ。チベット人は、それまでに住んでいた遠い奥地から、公共道路や鉄道に接した町や村に移住させられ、当局が規制しやすい新しい村に居住させられた。 このときから、先祖代々の生活方式が役に立たなくなり始め、もとはあった社会機構、長幼の倫理および地域文化は、もはや存在の可能性を失ったのである。伝統社会における氏族・村落など共同体における互助のメカニズムも既に失われて行った。

 過去において、穏やかな価値体系が支配していたチベット人の社会での行為からは、彼らの持つ文化の輝きが導き出されていた。かれらは宗教を重視し、牧畜を大切にして商業を軽視し、義を重んじて財を軽んじ、商に淡白で利を賎しみ、労働に励んで生計を案じ、貪欲に反き足るを知り、誠実公正である。どんな外敵の暴力と時代の変動を経験したところで、ひたすらチベット区の低層の生活方式は変えない。チベット族の文化の根底には、勤労にして純朴なチベット人が依然として存在しており、動乱のあとで平和と安寧を必ず探し当ててきた。しかし現在はどうか、故郷を離れたチベット人は二度と心の安寧を探し当てられはしないのだ。

 過去、チベット人は誰しも、生まれ落ちたその日から、それぞれの部落と寺院に属するが、その部落と寺院の歴史の光栄も悲しみも、全員共有の文化的背景であり、記憶と精神的財産なのである。しかし今、彼らは見知らぬ土地の異郷人となり、帰属感は失われてしまった。寺院と部落は遠い昔の回憶と変わり、民族文化の伝承もまたそれにつれて失われる可能性がある。

 マルクスは言う。『この成算なく厳しい運営の家父長制度の、めでたくも和やかにして無害な社会組織が、ばらばらに崩壊して苦海に投げ入れられ、彼らの身内一人一人が既に自己の古めいた文明を喪失し、さらに祖先伝来の生活手段を失うのを、見届けるのは人の感情からして辛い事だと言える』と。ただしマルクスは、英国はインド伝統の社会機構を叩き壊したあとに、その建設性使命として西方の資産階級民主体制の要素を取り入れた、と認めている。

 しかしながら、中国共産党はチベットの伝統的社会体制を破壊したのち、かえって暗黒野蛮な大漢族の専政体制をそれに取って代わらせた。破壊性使命を履行するさいに、文明財産を毀損しただけでなく、チベットの自然経済の基盤をも崩壊させ、伝統社会の組織を解体した。これと同時に、建設そのものが大漢族の略奪に供する原料の産地となり、またチベット族圏内に漢化を進めるための『幸福新村』が建設された。

四、移住チベット人は生計を失い途方に暮れている

 最初のころ、多くの純朴なチベット人は、町に行って新しい家に住むのをたいへん喜んでさえいた。政府は農牧民の移住を奨励する措置として、貸付金制度を提供し、併せて若干の補助金を出した。それらのチベット人は牛や羊などの家畜を売り払い、紙幣を手にして、町外れに建てられた奇麗なチベット式の小さな建物(玉樹地震に倒壊した多くは、この種の政府の統一建設による新築家屋だった)で定住生活を過ごしていた。
 だが早くも、トラブルはやって来た。辺境の地方からやってきた農牧民は、チベット語しか話せないが、町での通用語は漢語なので、彼らは何が何やら分からぬままに、見知らぬ世界に入り込んでしまった。この世界では、彼らは伝統的な生活能力を役立てられなくなったのだ。労働市場では、彼らは内地からやって来た漢族の移民とはもともと競争にならない。町での生活は水や電気の費用といった類いの、いろいろな支出が必要で、物価が暴騰すれば、彼らが売りに出した家畜の代金などたちまち消えてしまい、政府の補助金も使い果たすことになる。

 2008年、中国共産党の《西蔵研究》という雑誌が《三江源の生態移民(生態環境改善プロジェクトによる移住民)の生活状況と社会適応》という石徳生の署名入り文章を発表したが、これによれば格尓木(ゴルムド)市の長江源生態移民地域を例として、客観的にみてチベット区の生態移民の生活状況は『全体的に経済収入と生活水準がかなり低い』、『移民はもとの遊牧民生活の様式から離れただけで、まだ現代の特徴である商業と市場経済に備える生活様式を形成できていない』と指摘している。

 石徳生は取材中に、ほんの一部のチベット族移民だけは稼ぎに行けるけれど、大部分の者はやることが見つからず、ある者は肉体労働が出来なくて、うまく賃金にありつけないことを知った。文章にはDというインタビュー相手の談話を引用してある。「移住の前は、われわれは現在の生活について憧れを持っていました。でも引っ越して来てからは、われわれはたいへん多くの馴染みのないことにぶっつかったのです。一つには、やることが無い。もとは、われわれは牛を放牧し、羊を放牧していましたが、現在は牛も羊も全部売ってしまい、われわれは何をやればいいか分からない。毎日全くやることが無くって、一日中テレビを見ているなんて仕事じゃない。電気代もかかるしね。われわれはなにか仕事をしたいのです」

 こうして、町に移住してきたチベット人の多くが後悔することになった。彼らは草原の故郷に戻りたいと思った。しかし、故郷の土地はすでに政府に収用されている。ドキュメンタリー映画《不再恐惧(もうなにも怖くない)》の中で、ひとりのチベット族の青年が彼の境遇について語っている。「あいつらは谷間や地上に囲い柵でもって土地を分割してしまった。5年から10年の間は動物がそこの隔離地区に入るのを禁止したのです。だから放牧する場所がなくなった。……あいつらは囲いを作ったうえ、イバラまで植えやがった。こんなふうじゃ農民はもうなんにも植えられない」。
 することもなく、生計も立たず、もともと分をわきまえているチベット人も、生きる苦境に落ち込んでからは、そのわきまえを無くしはじめた。彼らは街道を目的もなくぶらついているが、ひもじさゆえに盗みの道に走る輩も現れる。王力雄は《格尓木的新蔵人(ゴルムドの新チベット人)》という一文の中で、チベット族移民の破れかぶれのやり方を次のように描写している。『格尓木からラサに向かう青蔵公路の路上で、近年一種の事件が発生した。犯人は公路の両側に待ち伏せをしていて、ロープを使って馬を捉えるのと同じように、公路を飛ばしてくるオートバイの運転手にロープを投げかけて引き倒し、オートバイを奪って逃げる。こういった犯罪の手口は、やはり放牧を業とする者の仕業でしかないとの疑いが持たれた』

 これはチベットの伝統社会の機構が急激に壊されたことの悪い結果である。移住チベット人は家郷の共同体の互助機能を失い、さらに漢人支配の社会にも入り込めないでいるのだ。もはや親近感をもつ寺院から彼らを教化に来ることもなく、ましてや尊崇するラマ僧が彼らの頭を撫でて善導してくれることもあり得ない。食べて行くために彼らは草原式の反抗を展開するが、しかしただちに、近代化した武装の中共軍警の制服に取り囲まれるのがオチなのだ。

 いくつかのチベット区では、街頭をぶらついているチベット族の新移民に対処する方法として、移民の新村に塀を巡らして囲い、出入り口に人を派遣して守らせ、外出する移民はすべて登記させて、違法行為に歯止めをかけている。このように、実弾をこめた銃を肩にした軍警が『幸福新村』を一大監獄に変えてしまった。少数の漢化の程度が比較的に進んだチベット人は漢族の商品経済の中に融合しているが、広大な家郷を失ったチベット人は、異郷にあって困窮した生活を送るしかないのだ。移住者の子女も『就学難』の問題に突き当たっており、徹底した漢化以外に、彼らの次の世代も進むべき道はないのである。

五、環境保全と安居生活は強制移住の理由にはならない

 中国共産党当局はこう宣伝している。チベット区ではこの種の全民移住が盛んに行われているが、彼ら当局の動機は、もっと好ましくもっと良くするということなどではなく、第一はただ高原の水土環境を保護するためで、遊牧しているチベット人を現代化した定住生活を過ごさせるためである。われわれは詳しく考察してみて、環境保護には必ず原住民の移転が必要というこの種の論法は道理にかなっていない。青海省三江源生態環境保護協会秘書長のハシ・タシドルチェ(Hashi Tashi-Dorcje)は、中国共産党当局が何度も表彰した著名なチベット族の環境保護の闘士であるが、西蔵高原の環境を保護するのに、最も適合した方法は即ち伝統的なチベット族の生活方式であって、彼らは当地の環境の天然の守護役である、と認めている。(註:ハッジは有力イスラム信徒への敬称)

 昨年、ハシ・タシドルチェは記者のインタビューを受けたとき、次のように語った。「あのように人を根こそぎ移動させることで、その土地の自然をうまく保護できるとする考え方は、間違っているかもしれません。一つの地方を保護したいなら、その裏では実際は人間が必要であって、当然、世世代代の生活がそこに存在し、その土地への誠実な愛情に満ちあふれた人間でなければなりません。土地を熱愛する人は、土地を痛めつけることなど出来ないのです。だから、自然と人類とのバランスが崩れそうだと彼らが気づいたとき、彼らは迅速に対策を思い出せるのです。土地に対する情感がない、あのような人たちだけが土地を傷つけることが出来るのです。可可西里(ココシリ)は、当時あんなにも大々的で気違いじみた採金と密猟の事態が発生していた時ですが、第一にココシリはもともと無人地区で、そこを熱愛する人間が住み着いていなかった。第二はどっと入り込んで来た人間たちです。ただその土地を略奪し、踏み荒らして去ったが、当然そこを大切にしたはずがありません。」

 四川大学中国蔵学研究所の学者徐君もやはり《西蔵研究》という雑誌に一文を草し、牧畜民を移住して環境が保護できるとの観点に対して疑問を提出した。彼女は説く、「草地退化の社会経済的原因について、一般に行き渡っている見方は、牧畜民たちの伝統的畜産業のパターンが『不合理的』、『立ち遅れ』、『非科学的』……などなどである。しかし、この種の判断は地方に対する知識の基本的な理解不足とみられ、事実と符合しているとは全く考えられない」と。

 実際の話、現在チベットにおける環境破壊の真の原因は、漢族がチベットにやって来て、金の鉱山を開鑿していることである。ただあのように略奪的な、気が狂ったような採掘を止め、外部からの移住を停止し、そして、もとからの住民が続けて来たような、大自然と調和し共存する生活を続けさえすれば、チベットの環境は失ったものをゆっくりと回復することが出来る。したがって、環境保護のためにチベット人を他所へ大移住させるという、中国共産党の口実にはきわめて不完全なものがある。

 また同じように、移住したチベット族の農牧民はいい暮らしをしている、という中国共産党の弁明も、やはり疑惑が持たれる。人々が重視していることは、物質面についてであろうが、しかし精神面のこともある。たとえば多くのチベット人はダライラマに会見することを人生最大の幸福としており、また自由自在の遊牧生活を喜びのうちに過ごしている。公正な社会というものは、人それぞれに然るべき所に居させることが出来なくてはならないのである。

 各人が何をもって好ましい生活と見るかは同じではなく、その個人の目標・環境と知識はすべて主観的なのだから、その本人が認めてこそ最良の選択をすることが出来るのである。だから、ひとつの公正な社会では、各個人すべてが選択の自由を有し、いかなる政府も、個人にかわって、移住するか否かの方針を決定する権利は全く無いのである。

六、真実の目的は政治的規制と土地略奪である

 それならば、中国共産党が高原で大移住運動を行っている目的は、結局のところ何であろうか? 地域のなかで一部のチベット人の役人が、こっそり海外のチベット人に漏らしたところでは、『牧畜民を定住させるのは、環境に考慮したからだけではなく、政治的な考慮でもあるとのことだ。むかし、牧民は高原の広大な土地の上を流動していたが、中国共産党の政治施策は強くなく、宗教信仰に敬虔なチベット人を取り締まる方法が無かった。現在はチベット人を交通の便利な町などに引っ越させて定住させ、彼らを囲い込んで管理しやすくし、中国共産党の公安機関は、意のままに彼らを監視できる』というわけである。

 中国共産党の御用学者も「安居工程」を高く評価する文章の中で、その政治目的が『ダライ集団が撒き散らすデマを排除して、農牧民の思想を穏健に固定させておくのに有利である』としている。(西蔵社会科学院張佳麗:《チベット農牧民の安居工程の経済社会発展における位置》)

 中国共産党の政府職員が大喜びして言う:チベット人が転居したのちは『求神拝仏が少なくなり』、ダライラマの影響が小さくなって、チベット農牧民は『党中央の声を聞く』ことが出来るようになった、と。2008年にチベット区で抗議運動が爆発したのち、『治安維持』の為に中国共産党はチベット人の移住運動を加速したが、いかに政治規制を必要としているかが察せられる。

 政治目的のほかに、中国共産党のもう一つの目的は土地の略奪である。あるチベット人が記録映画《不再恐惧(もう恐れはしない)》の中で話している。『中国人は、チベット人のことを、山の上に住んでいて、交通は不便、生活は苦しく、子供たちは就学さえ困難である、と言うが、これは彼らの決まり文句であって、事実はそれほどではない。彼らは本当の理由は語ろうとしない。それはわれわれの土地が極めて価値があり、しかも天然資源が豊富なので、これらの資源を獲得したいと思い、そこで美辞麗句を並べてわれわれを騙したのだ。小さい子をあやすようにして、われわれを移住させたのだ』と。

 あるチベット族の女性記者が、わたしにこんな話をしてくれた。彼女の故郷の天峻県は青海湖の西北にある小さな県城で、元来資源豊富な天然牧場だった。八十年代に木里炭鉱の開発によって、そこの環境が汚染されてからは、青空を望むことは出来なくなった。現在その地方は「安居工程」が非常に成功した模範として、当局の賞賛するところとなった。しかしチベット族の牧民は県城に移住させられた後は、スッカラカンの貧乏暮らしだが、なんと政府の役人は砿産物のおかげでゴッソリと大儲け。地元民の人口は二万に満たない県城だが、現在すでに八、九万人の外来移民が居る。去年そこで貴重な『燃える氷』天然ガスが発見され、ただちに採掘にかかったが、話によれば、県政府はまた外来移民十万人を受け入れるようにとの、上級機関の文書を受け取ったという。

 もう一人のチベット族の友人が私に向かって説明してくれた。つまり中国共産党はチベット人を町の中に連れ込んだときに、広大な土地をきわめて安い価格方式で買収し、国家の管理下においた。こうして、あとは彼らが任意に採掘したり、土地を利用したりで、チベット人の抗議の雑音など二度と再びあり得なかったという。さらに、このチベット族の友人は、中国共産党が奪い取った都市付近の土地は、漢族の移民のための用地である、と見ている。内地は人口が多く、資源は枯渇しているので、漢族の西部移民は中国共産党の苦境解決の有効な手段とされる。一切を壟断する専制政治体制では、やはり支配者のやりたい放題となる。チベット人が自己の土地の権利を要求したとき、中国共産党の役人は警察を同行して家にやってきて、『天は国のもの、土地も国のものである。』と脅した。

 これは漢人とチベット人の間の厳しい生存競争である。過去、チベット人は高原の上で遊牧生活を過ごしていたが、その生活方式の際立った特色は、非常に広大な地域が必要であるということだった。長い間にひそかに進められて来た「安居工程」は、漢人にチベット人の土地の奪取を成功させ、チベット人の活動範囲を圧縮し、その生存環境を破壊した。土地問題をめぐっての争いは、「安居工程」の非常に残酷な一面をのぞかせた。

 国際社会もこの一点を見届けている。今年三月、ベルリンで開催された『地球の第三極地はまさに危険に遭遇している──中国のチベットにおける環境政策』の研究会で、オーストラリアの科学者ラフィタがチベット牧民の現況について次のように言及した。『本来の大移動の始まりは、中国移民にもっと落ち着いた生活環境を手に入れさせるためだった。中国共産党政府は地球温暖化を造り出している元凶かもしれない。』
 同時に彼は、チベット牧民が現在住んでいる地味が痩せた地区が、将来中国の農産品の処理区となる疑いを持っている。ドイツのエネルギー源専門家のフランツ・アルト(Franz Alt)は、中国共産党がチベット高原で猛烈な自然資源の開発を展開している、と暗示している。 マルクスはかつてこう指摘している。『きわめて卑劣な利益に駆られて』、『英国の資産階級がまさにインドにおいて、すべてを実行するように追い込まれ、既に人民大衆を解放に至らせることが出来ず、また彼らの社会状況を根本的に改善することも出来なかったが、この両者は単に生産力の発展においてだけでなく、さらに生産力が人民の所有に帰していたか否かに起因している』と。 これも同様にチベット人の悲哀であって、主権を失ない、続いて生産力の所有権も喪失し、自己の土地の使用権も失ってしまった。

七、世界で移住させられたその他の民族との相互比較

 これまでに、われわれはこのように大規模な民族大移動を見ただろうか?

 19世紀後期、ハムリン・ガーランド(Hamlin Garland,1860-1940)という名のアメリカの作家は、アメリカインディアンの状況が話題になったとき、『この大陸のもともとの主人は、現在すでに白人に(家畜同様に)拘禁されてきた』と述べ、西部開発中の土地問題と種族衝突問題を解決するために、アメリカ政府はインディアンに対し『保留地制度』を実行したが、これまでに百数十万人のアメリカインディアンは連邦政府が画定した314カ所の保留地内で生活している、と述べている。

 しかしながら、インディアンに対する保留地制度と、現今の中国共産党のチベットにおける「安居工程」とは全く異なっている。まず第一に、白人がアメリカにやって来た十六世紀には、インディアンはまだ古代の氏族制にとどまっていた時期で、狩猟をして生活しており、土地を占有し開発したものの、同時にその主権を有効とする制度は形成されていなかった。しかるにチベット人は早くも紀元七世紀のソンツェン・ガンポの時代に、氏族制を終えて、強大な吐蕃王国を打ち立て、あわせて中国の唐朝に学んで『均田制』と同類の土地分配の方法を実施した。チベットの土地には、ずっと持ち主がいた、と言うことが出来る。

 次に、アメリカで広範に『保留地制度』を遂行したのは百六十年余り前であって、そのころは国際社会には、基本的人権のいささかの理念と原則もまだ生まれていなかった。ここ数十年来、国連は『なにびとたりとも移転を強制されないことを保証する』との原則を制定し、『土着民権利宣言』を通過させたが、その中に土着民が伝統として保有している土地の権利を、承認し尊重することも含まれている。第二次大戦後、人権保護は普通の理念となり、アメリカ政府もインディアンに対する政策を改正し、保留地において一定の優恵経済政策を採択し、さらに金銭をもってインディアンに補償することにした。しかるに中国政府のチベット人に対する権利の侵犯は、国際社会が一連の人権準則を制定したあとで発生しているのである。

 さらに、アメリカインディアンは保留地の中に住んで、完全に自由であり自治を行っており、かれらは立憲政府を設け、各級の公務員を選挙することが出来る。また学校を開設して、教育を拡充し、新聞の発行、書籍の出版、農業や牧畜業や商取引が可能である。白人文明のショックは受けるが、しかし彼らは依然として保留地の中で、繁栄のインディアン文化を創造している。それなのにチベット人は『幸福新村』の中で自由と民主を享受出来ず、自己の民族文化を守るすべが無いのだ。

 以上のことを総合すれば、チベット人の境遇はアメリカインデアンとは比較にならない。しかしわれわれは、1944年にソ連政府に追放された、チェチェン民族の境遇を思い出し、中国共産党のチベット民族に対する大移動のやりかたは、スターリンが全チェチェン民族をコーカサスの山区からコサック平原に追放したやりかたに、どこか似ていることを発見することが出来る。

 ソ連共産党がチェチェン人の追放を惹起した主な原因は、各民族が土地とそこに存在する生活資源をあわせて争奪し合い、コーカサス地区は石油資源が豊富で、しかも当地の民族宗教間で激しい衝突があり、またチェチェン人は民族独立の信念を捨てることを承知せず、ソ連共産党が押し進める集団化政策に反対した。そこでスターリンは『深謀遠慮の計画』を制定し、四十九万人のチェチェン人を列車で輸送する方法で、チェチェン問題を徹底的に解決した。

 比較してみると、ソ連のチェチェン人追放と、中国共産党がおこなった「安居工程」の動機は似たところが多い。ただスターリンのやりかたは簡単で粗暴過ぎ、のちのちチェチェン人民が恐怖的手段でロシアに報復するという結果を招いた。そして中国数千年の専政統治の経験を受け継いだ中国共産党は、その謀略は更に奥深く陰険で、手段は更に現代化し、さらに綿密で、彼らは善人ぶった顔をするのがうまく、チベット人民が幸せに引っ越せる新しい村といった外観を造り出し、自己の本当の目的を覆い隠して来たのである。

八、弱者に武器があったら「安居工程」の結果を予想するのは困難だった

 永い歴史の影響について言えば、チベット区の「安居工程」が発揮しえた最大の効能は、チベット人全体に対する強制的な漢化と改造と言えよう。このような結果は人をどうしようもなく悲しませる。歴史上から見れば、大漢民族がかつて同化したのは、一時威武を奮った蒙古族の元と、満州族の清だが、現在強大な経済力と武力を後ろ盾にして、微々たるチベット族を同化することは問題にされないようだ。

 ただし、世の中のことは論理面での矛盾に満ちている。チベット族の友人が別の角度から分析して言うには、チベット人はまさに弱い者いじめにあっている過程において、完全で美しい現代民族主義を形成しており、このような「安居工程」は、甚だしい場合にはチベットの自由の事業のために利益をもたらす、という。以前チベット人は250万平方キロの広大な土地の上に分散していて、いつも地域或いは教派の分裂という苦い味をなめており、まとまって何かをやる方法が無かった。しかし今こそ、チベット族が集中し、一致して圧迫に対抗するチャンスである、と。

 ならば、このように格差が大きい強弱勢力の対比のもとで、弱勢のチベット人はいかに抗争するか? 最近、ツエリン・オーセル(唯色)はチベット族の僧侶が四川玉樹地震中に傑出した態度をとったことを報道し、アメリカの人類学者ジェームス・スコット(James C.Skott)の著作《弱者の武器》(Weapons of the weak)に言及している。スコットが注目したのは、搾取される者が種々の圧迫搾取にいかに対應するかの彼らの能力であった。彼はマレーシア農民の『日常生活の中の反抗形式』、つまり低い姿勢と態度をとる反抗のテクニックを使った自衛的消耗戦により、堅固で強靭な努力をもって、抵抗し拒絶する方法もなかった不平等さに対し、抗議しているのを発見したのだった。

 オーセルは『われわれについて言うなら、抗争の資源は、われわれ自身の宗教・伝統と文化に関係する一切のものである』と述べている。最近、四川省の阿土貝格尓登寺の一人の老僧が『チベットは自由を求める』とのスローガンを叫んで街頭で焼身自殺をしたが、中国共産党の軍警はその他の僧侶を強制連行しようとした。格尓登寺の僧侶を護るため、阿土貝の市民全員が出動し昼夜を分かたず道路上に寝た。寺院のリンポチェ

 植民主義反対のこの一点について、マルクスはかなり徹底的である。ただ、マルクス主義の理論をもって国造りした中国共産党が、今は強権統治階級となり、横暴な植民者なってしまっただけである。いまこそ、われわれはマルクスの植民主義に関する二重の使命についての論述が、きわめて反風刺的意味を持つばかりか、依然として深刻な現実的意義を持つていることを、再度学習しているのである。

香港《争鳴》誌原載 2011年五月号、六月号